第百二号型駆潜特務艇
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第百二号型駆潜特務艇 | |
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基本情報 | |
種別 | 駆潜特務艇 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
要目 | |
基準排水量 | 約80トン |
水線長 | 26.00m |
水線幅 | 4.50m |
吃水 | 1.00m |
機関方式 | カーマス式ガソリン機関2基、2軸、1,000馬力 |
速力 | 15.0ノット |
燃料 | ガソリン |
兵装 | 13mm単装機銃2艇、爆雷4個 |
第百二号型駆潜特務艇(だいひゃくにごうがたくせんとくむてい)は、日本海軍の駆潜特務艇。旧オランダ海軍アルジョエノ(Ardjoeno)級沿岸用掃海艇。
概要
[編集]元はオランダ海軍がスラバヤで建造した沿岸掃海艇であり、沿岸の行動を想定された排水量およそ80トンの小型艇だった。102号など4隻は日本軍侵攻時、スラバヤで自沈していたところを捕獲かつ浮揚して整備し、艦籍に編入した。また、118号は建造中の船体を捕獲して建造を継続し、完成させた。
小型の船体ゆえに船団護衛には使用されず、同方面の各根拠地隊に配属され、湾岸防備用に使用されたと推定される[1]。
終戦までに2隻が戦没し、残り3隻はオランダ軍に接収されたが、インドネシア独立の混乱で失われたようである[1]。
同型艇
[編集]すべてオランダ海軍沿岸用掃海艇。建造所はスラバヤ工廠。
- 102号 - 旧アルジョエノ(Ardjoeno)。1937年(昭和12年)進水。1942年(昭和17年)3月2日スラバヤで自沈時捕獲。7月10日艦籍編入。沈没日不明、1945年(昭和20年)初頭に沈没と推定[1]。
- 104号 - 旧ガデー(Gadeh)。1937年進水。1942年3月2日スラバヤで自沈時捕獲。10月15日艦籍編入。1945年8月バタビアで接収される。
- 109号 - 旧カウィ(Kawi)。1937年進水。1942年3月2日スラバヤで自沈時捕獲。12月20日艦籍編入。1943年(昭和18年)8月14日、バリクパパンでアメリカ軍機の攻撃を受け沈没。
- 110号 - 旧ラウォエ(Lawoe)。1937年進水。1942年3月2日スラバヤで自沈時捕獲。12月20日艦籍編入。1945年8月スラバヤで接収される。
- 118号 - 旧サラク(Salak)。1942年3月スラバヤで建造中を捕獲。1944年(昭和19年)7月31日艦籍編入。1945年8月スラバヤで接収される。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「世界の艦船 増刊第45集 日本海軍護衛艦艇史」海人社、1996年2月号増刊、第507集