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第三号海防艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第三号海防艦
基本情報
建造所 三菱重工業神戸造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 海防艦
級名 第一号型海防艦
建造費 5,015,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
起工 1943年9月15日
進水 1943年12月29日
竣工 1944年2月29日
最期 1945年1月9日被爆沈没
除籍 1945年3月10日
要目(竣工時)
基準排水量 745トン
全長 67.50m
最大幅 8.40m
吃水 2.90m
機関 艦本式23号乙8型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 1,900bhp
速力 16.5ノット
燃料 重油106トン
航続距離 14ノットで6,500カイリ
乗員 定員123名[注釈 1]
兵装 45口径12cm高角砲 単装2基
25mm機銃 3連装2基
三式爆雷投射機12基
爆雷120個
搭載艇 短艇3隻
レーダー 22号電探1基
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
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第三号海防艦[注釈 2](だいさんごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦第一号型海防艦(丙型)の2番艦。大東亜戦争末期、作戦行動中に撃沈された。

艦歴

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計画-竣工-練成

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マル戦計画の海防艦丙、第2401号艦型の2番艦、仮称艦名第2402号艦として計画。1943年9月15日、三菱重工業神戸造船所で建造番号712番船として仮称艦名第2401号艦と同日に起工。12月22日、第三号海防艦と命名されて第一号型海防艦の2番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。12月29日、第1号海防艦と同日に進水。

1944年1月26日、艤装員事務所が神戸三菱造船所内で事務を開始。2月29日、第1号海防艦と同日に竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に、役務を呉鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められ、呉防備戦隊に編入。基礎術力練成教育に従事。

1944年3月-6月 第二海上護衛隊

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1944年3月25日、海上護衛総司令部第二海上護衛隊に編入[注釈 3]。横浜へ回航し、31日に東松四号船団と合流する。

4月1日、東松四号船団を護衛して木更津発。当初、本艦はサイパン止め船団の護衛として割り当てられていたが、パラオ行き船団に割り当てられていた隠岐の爆雷残量の関係で、隠岐に代わりパラオ行き船団に配当される。13日、パラオのヨオ水道に到達。20日、特設砲艦富津丸とともにダバオへ向けパラオ発。23日、ダバオ着。

5月3日、ダバオへ向け航行中の備庸丸[注釈 4]を迎えるためダバオ発。4日、同船を伴いダバオに帰着。9日、高津丸船団を護衛しマニラへ向けダバオ発。21日、吉備津丸を護衛しマニラ発。同船を途中まで護衛し、25日マニラに帰着。28日、マスバテ島へ向けマニラ発。29日、海軍配当船天榮丸を護衛するため反転する。31日、マニラ着。

6月6日、第三南遣艦隊作戦指揮下に編入。28船団を護衛し、ハルマヘラ島ワシレへ向かう。13日、ワシレ着。15日、M24船団を護衛してマニラへ向けワシレ発。24日、マニラ着。

1944年7月-8月 第一海上護衛隊

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マニラ在泊中の1944年7月5日、第一海上護衛隊作戦指揮下に編入。7日、ミ船団の一つのミ09船団に合同することとなり、ミリへ向けマニラ発。12日、ミリ着。ミリ在泊中の18日、第二海上護衛隊が解隊され、第一海上護衛隊に編入。19日、ミ10船団(18隻)を護衛して内地へ向けミリ発。24日、経由地のマニラに入港。27日、引き続きミ10船団を護衛してマニラ発。

8月2日、中継地の高雄着。4日、引き続きミ10船団を護衛して内地へ向け高雄発。10日、門司に到着しへ回航。11日から20日まで呉海軍工廠で入渠し、爆雷装置の修理を行う。21日、門司へ回航し、ヒ73船団の編成を待つ。25日、ヒ73船団を護衛して門司を出港したが、本艦は有川湾で船団から分離して佐世保へ回航し、モタ25船団の編成を待つ。31日、モタ25船団(3隻)を護衛して高雄へ向け寺島水道発。

1944年9月-12月 第十一海防隊

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1944年9月3日、モタ25船団護衛部隊3隻[注釈 5]は高雄で編成中のタマ25船団[注釈 6]の護衛に割り当てられることとなり、高雄行きを取りやめ基隆に回航されることとなった。本艦らはモタ25船団を基隆まで送り届け、4日高雄に入港。5日、第一海上護衛隊隷下に新編された第十一海防隊に編入[注釈 7]。同日、タマ25船団(11隻)を護衛して高雄発。6日船団がアメリカ潜水艦の攻撃により損害を出したため、東港に退避。8日、引き続きタマ25船団を護衛してマニラへ向け東港発。9日、船団が再び損害を出したため、本艦は豊岡丸と満州丸の遭難者を救助し、10日ラポッグ湾に退避。11日ラポッグ湾を出港したが、ビサヤ諸島が12日にアメリカ艦上機の空襲を受けていたため、マニラ直行をとりやめて13日にスービック湾で仮泊。14日にはサンタクルスへ退避することとなった。17日、アメリカ艦上機によるビサヤ諸島に対する空襲が終わったためスービック湾へ向けサンタクルスを出港し、同日スービック湾に入港。18日に同湾を出港し、同日マニラに到着した。20日、マタ27A船団(6隻)を護衛して高雄へ向けマニラ発。21日、スービック湾沖でアメリカ艦上機の空襲を受け、対空戦闘を行う。この空襲で船団は全滅してしまい、本艦は戦死者2名を出し、僚艦の第5号海防艦は被爆して沈没した。同日、残された護衛艦艇はサンタクルスに退避。その後は22日サンフェルナンド、23日ラポッグ湾と避泊を繰り返し、26日高雄に入港した。29日[注釈 8]、タモ26船団(9隻)を護衛して基隆へ回航。30日、内地へ向け基隆発。

10月6日、門司着。7日から18日まで呉海軍工廠で入渠し、修理を行う。18日門司へ回航し、モマ06船団の編成を待つ。22日、モマ06船団(11隻)を護衛してマニラへ向け門司発。船団は2隻を失い1隻が離脱しながらも27日基隆に入港し、31日高雄着。

11月1日、引き続きモマ06船団を護衛してマニラへ向け高雄発。途中サブタン島とサンタクルスを経由し、9日マニラ着。12日、マタ32船団(3隻)を護衛して高雄へ向けマニラ発。14日、アメリカ潜水艦群の攻撃を受けて第7号海防艦、鞍埼、海軍配当船第五雲海丸が相次いで撃沈され、残りの艦船は17日に高雄に入港した。11月20日、第130号海防艦(サンジャック在泊中)と第134号海防艦(泗礁山在泊中)が第十一海防隊に編入される。23日、タマ32A船団を護衛してマニラへ向け高雄発。途中枋寮、ムサ、ラポッグ湾、サンフェルナンドで避泊を繰り返し、30日マニラ着。

12月10日、第一海上護衛隊は第一護衛艦隊に改編。その他の12月中の行動は不明[注釈 9]

1945年1月 沈没

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1945年1月1日、サマ14船団を護衛して高雄着。3日、他の船団との合同を命じられサマ14船団とともに高雄を出港。4日、南澳島に到着。6日単艦で南澳島を出港し、7日高雄着。8日、単艦で高雄を出港して基隆へ向かう。9日、基隆へ向け航行中、浙江省温州沖でアメリカ艦上機の攻撃を受け、被爆し沈没した。この戦闘で海防艦長の仁科俊郎少佐以下乗員170名が戦死した。

3月10日、第三号海防艦は第一号型海防艦と第十一海防隊から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。

海防艦長

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艤装員長
  1. 仁科俊郎 大尉:1944年1月30日 - 1944年2月29日
海防艦長
  1. 仁科俊郎 大尉/少佐:1944年2月29日 - 1945年1月9日 戦死、同日付任海軍中佐

脚注

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注釈
  1. ^ この数字は特修兵を含まない。
  2. ^ 本来の艦名表記は第三號海防艦。
  3. ^ 昭和19年3月9日付 大本営海軍部海軍参謀部第一部 機密第092034番電、昭和19年3月11日付 連合艦隊参謀長 機密第111127番電、海防艦顕彰会『海防艦戦記』p. 410では、3月20日第二海上護衛隊に編入予定(もしくは編入)となってはいる。しかし、昭和19年3月15日付 大本営海軍部海軍参謀部第一部 機密第151037番電で本艦の編入期日を3月25日に改定されている。その後の編入期日の改定は遡及施行を含めて存在しないため、3月25日が第二海上護衛隊への編入日となる。
  4. ^ 船名は海防艦顕彰会『海防艦戦記』p. 410によるが、該当する船名は「大東亜戦争 徴用船舶行動概見表」、「日本海軍徴用船舶原簿」、「船員保険戦時加算該当船舶名簿」のいずれにも見出すことは出来ない。
  5. ^ 第1号海防艦、本艦、第5号海防艦
  6. ^ 駒宮『戦時輸送船団史』p. 245によれば、フィリピン防衛のため陸軍機械化部隊を輸送する最重要船団と称されるもの。
  7. ^ 新編時の構成艦は第1号海防艦(海防隊司令海防艦)、第3号海防艦、第5号海防艦、第7号海防艦の4隻。
  8. ^ 日付は第一号海防艦戦時日誌(昭和19年9月1日-30日)による。海防艦顕彰会『海防艦戦記』p. 404およびp. 410では27日、第一海上護衛隊戦時日誌(昭和19年9月1日-30日)では「?(日付不明)」としている。
  9. ^ 1944年12月1日-31日の第一海上護衛隊戦時日誌と第一護衛艦隊戦時日誌は未公開。
脚注

参考文献

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  • 海軍省
    • 昭和18年12月22日付 達第319号、内令第2776号、内令第2778号、内令第2780号。
    • 昭和19年2月29日付 内令第366号。
    • 昭和19年9月5日付 内令第1041号。
    • 昭和19年11月20日付 内令第1285号。
    • 昭和20年3月10日付 内令第209号、内令第223号、内令第228号、内令員第478号、内令員第479号。
    • 呉防備戦隊戦時日誌。
    • 昭和19年4月24日付 東松四号船団部隊機密第6号 「東松四号船団部隊任務報告」。
    • 第一海上護衛隊戦時日誌。
    • 第一号海防艦戦時日誌。
    • 第三号海防艦戦時日誌。
    • 第十一海防隊機密第1号ノ1ノ9 昭和19年9月21日 第一号海防艦戦闘詳報。
    • 一一海防隊機密第24号 第三号海防艦戦闘詳報第一号「昭和19年9月21日 マタ27船団対空戦闘」。
    • 第一護衛艦隊戦時日誌。
    • 昭和19年2月9日付 海軍公報(部内限)第4612号。
    • 昭和19年3月16日付 海軍公報(部内限)第4642号。
    • 昭和19年1月31日付 海軍辞令公報(部内限)第1309号。
    • 昭和19年2月29日付 海軍辞令公報(部内限)第1349号。
    • 昭和20年8月29日付 秘海軍辞令公報 甲 第1899号。
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』、原書房、1982年。
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、朝雲新聞社、1971年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第71巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(5) -第三段作戦中期-』、朝雲新聞社、1974年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 28 日本海軍艦艇シリーズ 『海防艦』、潮書房、1979年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。