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笠沙町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笠砂村から転送)
かささちょう
笠沙町
野間岳
笠沙町旗 笠沙町章
廃止日 2005年11月7日
廃止理由 新設合併
加世田市川辺郡大浦町坊津町笠沙町日置郡金峰町南さつま市
現在の自治体 南さつま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
川辺郡
市町村コード 46341-9
面積 39.88 km2.
総人口 3,838
国勢調査、平成12年)
隣接自治体 加世田市、大浦町、坊津町
笠沙町役場
所在地 897-1301
鹿児島県川辺郡笠沙町片浦808番地
笠沙町役場(現・南さつま市役所笠沙支所)
座標 北緯31度24分25秒 東経130度11分30秒 / 北緯31.40689度 東経130.19169度 / 31.40689; 130.19169座標: 北緯31度24分25秒 東経130度11分30秒 / 北緯31.40689度 東経130.19169度 / 31.40689; 130.19169
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笠沙町(かささちょう)は、鹿児島県川辺郡の南西にあったである。町域は野間半島の大部分を占めた。2005年11月7日加世田市大浦町坊津町金峰町合併し、南さつま市となった。

黒瀬杜氏に「一どん」と「黒瀬杜氏」と言う芋焼酎がある。

歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、大浦村・赤生木村・片浦村の区域より西加世田村が成立。
  • 1922年(大正11年)12月31日 - 笠砂村と改称。
  • 1940年(昭和15年)11月10日 - 町制を施行し笠沙町と改称。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 笠沙町から大字大浦の区域が分立し、大浦村が設置される[1]
  • 2005年(平成17年)11月7日 - 加世田市・川辺郡大浦町・坊津町及び日置郡金峰町と合併し南さつま市となり消滅[2]

町名の由来

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日本書紀』の天孫降臨の段に、ニニギノミコトが降臨した後に「吾田の長屋の笠狭の碕に到る」(一書の六では「吾田の笠狭の御碕に到り、遂に長屋の竹嶋に登る」)とある。「吾田(阿多)」は『日本書紀』では薩摩の総名として使用されており[3]、笠狭を加世田とする説が行われてきた[3]。長屋はその西の長屋山、竹嶋は野間岬に比定されるという[3]。「笠狭の碕」を野間岬とする説はたとえば『三国名勝図会』などに見えており[4]、『大日本地名辞書』では『薩藩勝景百図考』を引いて笠狭碕を野間岬とする[5]

漢字には「笠狭」「笠砂」「笠沙」の3通りがある。日本書紀では「笠狭」、古事記では「笠沙」を使用している。

記紀の笠狭・笠沙の比定地であることから、1923年(大正11年)の村会で笠砂村に改称することを決議、翌年1月1日に改称された[6]:42-44[7]。1940年(昭和15年)に笠沙町に改称した[6]:67。町名になる以前には、この一帯に「笠沙」という地名は、字名としても広域地名としても存在しなかった。

1940年の紀元二千六百年記念行事では、野間半島一帯の4箇所が神代聖蹟の地に指定され、野間岳山頂・宮ノ山山腹・野間岬・黒瀬西脇海岸に碑が建てられた[6]:62-64[8]

行政

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  • 町長:中尾昌作

人口

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  • 総人口 3,838 人
  • 男性人口 1,725 人
  • 女性人口 2,113 人
  • 年少人口 368 人
  • 生産年齢人口 1,865 人
  • 老齢人口 1,605 人
    • 総務省統計局「平成12年国勢調査」より

教育

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中学校

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小学校

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2014年4月に3つの小学校が統合され、旧笠沙中学校跡地に「南さつま市立笠沙小学校」として新たに開校。

交通

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黒瀬海岸付近の国道226号

鉄道路線

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町内を鉄道路線は通っていない。最寄り駅はJR九州指宿枕崎線枕崎駅だが、同線は鹿児島中央駅に向かって大きく迂回した経路をとっていて所要時間がかかる上に本数も少ないため、実用上は利用しづらい。

道路

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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  • お伊勢講祭り(2月11日)
  • 野間神社例祭(2月20日
  • MUSEUM RESORT、笠沙恵比寿(2000年オープンの観光宿泊施設[9]、2022年に日清丸紅飼料に譲渡され水産用飼料の研究開発拠点となる予定[9]

主な出身者

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脚注

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  1. ^ ウィキソース出典 昭和27年2月22日総理府告示第35号『町村の廃置分合 (昭和27年総理府告示第35号)』。ウィキソースより閲覧。 
  2. ^ ウィキソース出典 平成17年8月16日総務省告示第917号『市町の廃置分合 (平成17年総務省告示第917号)』。ウィキソースより閲覧。 
  3. ^ a b c 鹿児島県史』 第1巻、1939年、27-28頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1261640/1/30 
  4. ^ 笠砂御碕」『三国名勝図会』 27巻、1905年、37頁https://dl.ndl.go.jp/pid/992139/1/107 
  5. ^ 吉田東伍笠狭碕」『大日本地名辞書』冨山房、1907年、1830頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2937057/1/923 
  6. ^ a b c 『笠沙町郷土誌』 中、1986年。 
  7. ^ 「笠沙」『角川日本地名大辞典』 46 鹿児島県、角川書店、1983年、185頁。 
  8. ^ 神武天皇聖蹟を巡る鹿児島と宮崎の争い——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(追補)』南薩日乗、2019年5月4日https://inakaseikatsu.blogspot.com/2019/05/blog-post.html 
  9. ^ a b 水戸岡鋭治氏コーディネートの観光施設「笠沙恵比寿」(南さつま) 日清丸紅飼料に譲渡へ 水産用飼料の研究開発拠点に”. 南日本新聞. 南日本新聞 (2022年6月11日). 2022年6月11日閲覧。

外部リンク

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