笠井健太郎
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笠井 健太郎(かさい けんたろう、1877年(明治10年)2月8日[1] - 1937年(昭和11年)11月2日[2])は、日本の検事。裁判官。
経歴
[編集]香川県高松市出身[1]。1904年(明治37年)、京都帝国大学法科大学法律科を卒業し、司法官試補となった。福島地方裁判所判事、熊谷区裁判所判事、東京区裁判所判事、東京地方裁判所判事代理、東京控訴院判事代理、横浜地方裁判所判事、横浜地方裁判所検事・同区裁判所検事、土浦区裁判所検事を歴任し、1920年(大正9年)に朝鮮総督府検事に転じた[3]。京城地方法院検事、法務局刑事課長、高等法院検事、京城地方法院検事正を経て、1932年(昭和7年)に法務局長に就任した[1]。1934年(昭和9年)から高等法院検事長を務めた[3]。
栄典
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 輓近大日本拓殖史 1934.
- ^ 『官報』第3275号、昭和12年12月2日。
- ^ a b 朝鮮人事興信録 1935, p. 105.
- ^ 『官報』第3232号「叙任及辞令」1937年10月9日。
参考文献
[編集]- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。
- 『朝鮮人事興信録』朝鮮人事興信録編纂部、1935年。