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笑福亭智六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笑福亭しょうふくてい 智六ちろく
笑福亭(しょうふくてい) 智六(ちろく)
五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。
本名 畑山はたやま 浩志ひろし
生年月日 1979年2月27日
没年月日 (2024-05-29) 2024年5月29日(45歳没)
出身地 日本の旗 日本兵庫県神戸市
死没地 日本の旗 日本大阪府大阪市
師匠 笑福亭仁智
活動期間 2007年 - 2024年
所属 吉本興業
備考
上方落語協会会員

笑福亭 智六(しょうふくてい ちろく、1979年2月27日 - 2024年5月29日)は、上方落語協会に所属する落語家笑福亭仁智門下。本名は畑山 浩志

経歴

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姫路獨協大学外国語学部英語学科卒業後、2007年9月1日笑福亭仁智に入門。落語の経験がない中、28歳という年齢での入門であった[1]

2024年5月29日、持病の悪化により大阪市内の病院で死去。45歳没[2]

訃報は葬儀の後6月3日に所属事務所から発表されたが[3]、6月1日に天満天神繁昌亭で予定されていた独演会は本人休演(代演:笑福亭智丸、出演:桂福枝、ゲスト:恩田雅和)の形で開催され[4]、舞台から笑福亭仁昇により訃報が観客に伝えられた[5]

2024年7月5日の天満天神繁昌亭での仁智一門会は智六追善落語会「智六と愉快な仲間たち」として開催された。出演は仁智・智之介・智丸・大智、(トークのみ)桂ちきん笑福亭飛梅桂福枝[6][7]

人物

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  • 入門時から恩田雅和(当時:天満天神繁昌亭支配人)に似ていると言われ、よく噺家仲間からいじられていた[8]
  • 生前使用していた見台・膝隠し・小拍子などは形見として桂福枝が譲り受けた上で、9月にオープンする寄席「笑仁亭」(大阪・日本橋)に寄贈した[1]

出演

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 吉田清均「兄さんの見台で一緒に笑いを…笑福亭智六さんの形見が若手公演の場に」『読売新聞』2024年9月17日、関西発。
  2. ^ 落語家・笑福亭智六さん、持病悪化のため45歳で死去 近年は闘病しながら高座”. ENCOUNT (2024年6月3日). 2024年6月3日閲覧。
  3. ^ 笑福亭智六 訃報のお知らせ”. 吉本興業 (2024年6月3日). 2024年6月4日閲覧。
  4. ^ 笑福亭智丸(@chimaru_s) (2024年5月31日). “明日の繁昌亭朝席『智六独演会』、智六兄さんの代演で出演させて頂きます。”. X. 2024年6月4日閲覧。
  5. ^ ゆきえ(@paMdqyUKfPEdBA8) (2024年6月3日). “行司の呼び出しの響きで涙腺崩壊。”. X. 2024年6月4日閲覧。 “高座を降りた智丸さんから、皆様に、ご報告がありますと紹介の後、仁昇師匠から、5月28日の未明、智六さんが亡くなったこと、最期まで舞台への意欲を失わなかったこと、智六さんの無念が語られました。”
  6. ^ 笑福亭 大智(@daichishofuku) (2024年7月4日). “明日7月5日金曜日は 智六兄さんの追善落語会です”. X. 2024年7月7日閲覧。
  7. ^ 45歳で早逝した故・笑福亭智六の追善落語会にゆかりの噺家が集結「もうちょっと生きててほしかった」”. FANY magazine. 吉本興業 (2024年7月13日). 2024年9月2日閲覧。
  8. ^ 笑福亭智六(@chirokushoufukutei) (2024年4月5日). “今回は僕と福枝くんの落語に加え、”. Instagram. 2024年6月20日閲覧。 “僕は入門時から「恩田支配人(当時)」と似ていると言われ、周りの噺家から「支配人、昼席のギャラくださいよ」といじられてました。”

外部リンク

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