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笑撃的電影箱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

笑撃的電影箱』(しょうげきてきでんえいばこ)は、一部日本テレビ系列局が編成していたバラエティ番組放送枠の名称。日本テレビでは1991年10月20日から1994年3月27日まで、毎週日曜 22:30 - 23:26 (JST) に編成されていた。

概要

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日本テレビの日曜22:30 - 23:30枠はローカルセールス枠で、1988年4月から1990年3月までは『全日本プロレス中継[注 1]を、1990年4月からは再び海外ドラマを放送していたが、1991年10月にバラエティ枠に変更するとともに、火曜深夜に放送され人気を呼んでいたウッチャンナンチャンダウンタウン両コンビの番組がプライムタイムへと移動する際にセットにされる形で当枠が編成された。28分番組の2本立てで構成される。

構成番組(タイムフォーマット)

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1991年10月 - 1992年6月

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1992年7月 - 1994年3月

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  • 22:30 - 22:58 進め!電波少年
  • 22:58 - 23:26 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!

『笑撃的電影箱』枠解体後

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枠の解体後も『電波少年』と『ガキの使い』はそれぞれ終わることなく存続し、単独番組化した。『電波少年』は1998年1月1日まで同タイトルで放送されたあと、同年1月11日に『進ぬ!電波少年』(OPタイトルは、「進(me)」から「進(nu)」に変わっていくアニメーション)へとリニューアルし、2002年9月29日まで放送された。『ガキの使い』は1999年4月に放送開始時刻が1分繰り下がったのみで特に大きな移動などはなかったが、2015年4月に『日曜ドラマ』が新設され、バラエティ枠からドラマ枠に変更した。それに伴い『ガキの使い』は放送時間が29分繰り下がった(『電波少年』移転・終了後、『別れてもチュキな人』〈のちに『ワカチュキ』と改題〉→『中井正広のブラックバラエティ』→『有吉反省会』に変更、こちらもドラマ新設で放送枠移転し、現在に至る)。

ネット局

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  • 系列、ネット形態は番組終了時点(途中打ち切り局は打ち切り時点)
放送地域 放送局名 系列 ネット形態 備考
関東広域圏 日本テレビ 日本テレビ系列 制作局
北海道 札幌テレビ 遅れネット 1992年4月12日から、日曜正午の遅れネット[1][注 2]
この時間帯は自主製作番組『日高晤郎のスーパーサンデー』を放送
青森県 青森放送 同時ネット 1991年10月25日(金曜日)から金曜16:00 - でネット開始、
1993年4月から日本テレビ同時ネットに移行。[注 3][注 4]
岩手県 テレビ岩手 遅れネット 1991年11月10日から、日曜正午の遅れネット[4][注 2]
この時間帯は自主製作番組を放送
宮城県 ミヤギテレビ 金曜未明(木曜深夜)からの遅れネット[5][注 2]
秋田県 秋田放送 1992年10月1日 23:55 - 放送開始[6]
終了時点では水曜1:40 - (火曜深夜)の遅れネット[7][注 5]
山形県 山形テレビ フジテレビ系列 開始当初は不定期放送
山形放送 日本テレビ系列 同時ネット 1993年4月4日から同時ネットで放送開始[9][注 6]
山梨県 山梨放送 遅れネット 金曜未明(木曜深夜)からの遅れネット[11]
新潟県 テレビ新潟 同時ネット 開始当初は木曜未明(水曜深夜)の遅れネット、
1993年11月7日から同時ネット[12][注 2]
長野県 テレビ信州 遅れネット 土曜未明(金曜深夜)からの遅れネット[13][注 2]
静岡県 静岡第一テレビ 同時ネット 開始当初は日曜未明(土曜深夜)の遅れネット、
1992年10月11日から同時ネット[14]
富山県 北日本放送 開始当初は非ネット、
1992年10月11日から同時ネットで放送開始[15]
石川県 テレビ金沢 開始当初から同時ネット[16]
福井県 福井放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
遅れネット 1992年4月9日 - 11月26日の木曜未明(水曜深夜)から遅れネット[17]
[注 5]
中京広域圏 中京テレビ 日本テレビ系列 1993年10月3日に日曜未明(土曜深夜)での遅れネットで放送開始。[注 7]
近畿広域圏 読売テレビ 1991年10月25日に金曜夕方から遅れネットで放送開始
、12月20日打ち切り[18][注 8]
鳥取県島根県 日本海テレビ 同時ネット 開始当初は日曜12:00 -の遅れネット[19]
1992年4月12日から同時ネット(遅れネット終了も同日)[20]
広島県 広島テレビ 遅れネット 開始当初は土曜正午、
終了時点では金曜未明(木曜深夜)からの遅れネット[21][注 2]
山口県 山口放送 同時ネット 1993年10月3日から同時ネットで放送開始[22][注 9]
香川県・岡山県 西日本放送 同時ネット 開始当初は非ネット、1992年2月23日より同時ネットで放送開始[24]
愛媛県 南海放送 遅れネット 水曜未明(火曜深夜)での遅れネットだったが1992年9月30日で打ち切り、
1994年3月23日に水曜未明(火曜深夜)で再開[25][注 5]
高知県 高知放送 日曜12:30台に遅れネット[注 10]
福岡県 福岡放送 土曜17:00 - の遅れネット[26]
長崎県 長崎国際テレビ 同時ネット 開始当初は日曜未明(土曜深夜)の遅れネット、1992年4月12日から同時ネット[27]
熊本県 くまもと県民テレビ 遅れネット この時間帯に前半枠は『ファッション通信』、
後半枠に『MOTOR LAND2』を放送していたため
日曜の昼に遅れネットで放送していた。
大分県 大分放送 TBS系列 開始当初は金曜未明(木曜深夜)[28]の遅れネット、
その後水曜未明(火曜深夜)に移動するも1992年9月30日で打ち切り[29]
テレビ大分 日本テレビ系列
フジテレビ系列
1993年10月19日に火曜17時台で放送開始[30]
宮崎県 テレビ宮崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1994年4月8日 0:40 - (7日深夜)放送開始[31]
鹿児島県 鹿児島読売テレビ 日本テレビ系列 同時ネット サービス放送期間中に最終回のみを同時ネット、
先行局は非ネット[32]
沖縄県 琉球放送 TBS系列 遅れネット 編成の都合上、水曜未明(火曜深夜)からの遅れネット[33]

ネット局に関する備考

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  • 自主編成の特番などを放送するために、その日の放送を休止するネット局も多かった。
  • 逆に2時間スペシャル企画に関しては、同枠を編成していなかった局でも放送された。

脚注

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注釈

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  1. ^ 土曜19時から移動、1990年4月からは月曜未明(日曜深夜)に再移動。
  2. ^ a b c d e f この時間帯自社制作番組を放送していたが、ミヤギテレビ、テレビ新潟、テレビ信州ではその後この枠において2番組セットでの同時ネットに移行したほか、札幌テレビ、テレビ岩手、広島テレビでも一時期同時ネットしていた。
  3. ^ それまで放送していた『日高晤郎のスーパーサンデー』を打ち切る[2]
  4. ^ 本番組内包前も、1991年3月までは「SHA・LA・LA」と「ガキ使」が連続放送されていた。[3]
  5. ^ a b c この時間帯は『ナショナル劇場』を放送(南海放送のみ1992年9月まで、10月以降はテレビ朝日系の遅れネット番組を放送[8]
  6. ^ 1993年3月まで日本テレビ系列とテレビ朝日系列クロスネット局だった山形放送はこの時間帯、同時期まで『日曜洋画劇場』を同時ネットで放送していたため[10]、開始当初は当時フジテレビ系列だった山形テレビで不定期放送していたが、山形テレビが1993年4月にフジテレビ系列からテレビ朝日系列にネットチェンジすると同時に日本テレビ系列のフルネット局に移行した山形放送で1993年4月から同時ネット。
  7. ^ 深夜時代の『SHA.LA.LA.』および『ガキの使い』に関してはともにレギュラーで放送していたが、『笑撃的電影箱』以後は金曜16:00台での不定期放送へと移行した。これは、日曜22:30から放送していた自社製作番組『ヴィヴィアン』の存続を優先させたためである。その後、土曜24:00からの自社製作番組『小堺一機の恋愛専科 色恋ざうるす』が終了したのを機に、中京テレビは1993年10月から同時間帯でのレギュラー放送を開始した。当初は枠を60分とやや多めに取っていたが、実尺が55分程度であるという点は他局と同様であり、末期においては空いた時間を使ってミニ番組を放送していた。
  8. ^ 1992年頃、月曜から金曜の夕方に『SHA.LA.LA.』終了分までの回を集中放送したことがある。
  9. ^ 1993年9月までNNS・ANNとのクロスネット局だった山口放送はこの時間帯、本来木曜20時台に放送するはずの時代劇(『名奉行 遠山の金さん』ほか)を遅れネットで放送していたため、非ネットだった。[23]山口放送が1993年10月にNNSフルネット局に変更されると同時にこの枠を編成した。『電波少年』司会者の松村邦洋山口県出身であることから、山口放送は編成開始の際の事前告知で『進め!電波少年』を前面に出してアピールしていた。
  10. ^ フジテレビ制作の連続ドラマ(『木曜劇場』など月9以外の枠)を番販ネットしていた。そのため、1週遅れの日曜12:30台に編成していた。そのため、同時ネットで放送されていた『スーパージョッキー』は火曜未明(月曜深夜)の遅れネットに変更された。なお、同枠の解体後は『電波少年』単体での放送へと移行し、『ガキの使い』は不定期放送へと降格した。

出典

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  1. ^ 朝日新聞北海道版』1992年4月12日発行分
  2. ^ ザテレビジョン北海道・青森版』1993年3月24日、4月7日発売分
  3. ^ 1991年3月から4月及び10月から11月と1992年6月から7月及び1994年3月の東奥日報朝刊・RABテレビ欄(五所川原市立図書館で閲覧)より。
  4. ^ 『東奥日報朝刊』1991年11月と1992年6月・7月のテレビ欄
  5. ^ ザテレビジョン宮城・福島版』1992年1月22日、1994年4月20日発売分
  6. ^ ザテレビジョン秋田・岩手・山形版』1992年9月23日発売分
  7. ^ ザテレビジョン秋田・岩手・山形版』1992年1月15日、22日、1994年3月30日発売分
  8. ^ 朝日新聞西部版』1992年10月11日
  9. ^ ザテレビジョン秋田・岩手・山形版』1993年3月24日、31日発売分
  10. ^ ザテレビジョン秋田・岩手・山形版』1992年1月15日、22日発売分
  11. ^ 山梨日日新聞』1991年11月21日、1994年3月31日発行分
  12. ^ ザテレビジョン長野・新潟版』1991年12月25日、1993年10月27日、11月3日発売分
  13. ^ 『ザテレビジョン長野・新潟版』1991年12月25日、1994年3月16日発売分掲載の番組表
  14. ^ 山梨日日新聞』1992年7月5日、1992年10月11日テレビ欄
  15. ^ 北國新聞』1992年7月5日、1992年10月11日テレビ欄
  16. ^ 『北國新聞』1991年10月20日テレビ欄
  17. ^ 北國新聞』1992年3月15日 - 31日、4月1日 - 8日、1992年11月25日、12月2日 - 13日
  18. ^ 朝日新聞大阪版』1991年10月25日、12月20日発行分
  19. ^ ザテレビジョン広島・山口・島根・鳥取版』1991年11月27日発売分
  20. ^ ザテレビジョン広島・山口・島根・鳥取版』1992年4月8日発売分
  21. ^ ザテレビジョン広島・山口・島根・鳥取版』1992年1月8日、1994年3月23日発売分
  22. ^ 朝日新聞西部版』1993年10月3日テレビ欄
  23. ^ ザテレビジョン広島・山口・島根・鳥取版』1992年1月15日、22日発売分
  24. ^ ザテレビジョン岡山・四国版』1992年1月15日、22日、1992年2月19日、1994年3月23日発売分
  25. ^ 朝日新聞西部版』1992年9月29日、1994年3月21日
  26. ^ 朝日新聞西部版』1992年7月18日テレビ欄
  27. ^ ザテレビジョン熊本・長崎版』1991年12月25日、1992年3月25日、4月8日発売分『ザテレビジョン熊本・長崎・沖縄版』1994年3月23日発売分
  28. ^ ザテレビジョン福岡・佐賀・大分版』1991年12月25日発売分
  29. ^ 朝日新聞西部版』1992年9月29日
  30. ^ 朝日新聞西部版』1993年10月12日、19日
  31. ^ ザテレビジョン鹿児島・宮崎・大分版』1994年3月30日
  32. ^ ザテレビジョン鹿児島・宮崎・沖縄版』1992年1月15日、22日、『ザテレビジョン鹿児島・宮崎・大分版』1994年3月23日発売分
  33. ^ ザテレビジョン鹿児島・宮崎・沖縄版』1991年12月25日、『ザテレビジョン熊本・長崎・沖縄版』1994年3月23日発売分


関連項目

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日本テレビ 日曜22:30 - 23:26枠
前番組 番組名 次番組
笑撃的電影箱
(1991.10 - 1994.3)
【ここからバラエティ枠】
進め!電波少年
(22:30 - 22:58)
【単独番組化】
ダウンタウンの
ガキの使いやあらへんで!!

(22:58 - 23:26)
【単独番組化】