竹谷町 (蒲郡市)
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竹谷町 | |
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北緯34度49分47.06秒 東経137度12分25.68秒 / 北緯34.8297389度 東経137.2071333度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 蒲郡市 |
面積 | |
• 合計 | 2.915214333 km2 |
人口 (2020年(令和2年)10月1日現在)[WEB 2] | |
• 合計 | 5,908人 |
• 密度 | 2,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
443-0046[WEB 3] |
市外局番 | 0533[WEB 4] |
ナンバープレート | 豊橋[WEB 5] |
地理
[編集]学区
[編集]河川
[編集]- 尺地川[1]
字一覧
[編集]- 足洗(あしあらい)[WEB 6]
- 新井(あらい)[WEB 6]
- 池下(いけした)[WEB 6]
- 泉(いずみ)[WEB 6]
- 井瀬木(いせぎ)[WEB 6]
- 一ノ坪(いちのつぼ)[WEB 6]
- 稲荷(いなり)[WEB 6]
- 犬飼(いぬかい)[WEB 6]
- 犬飼港(いぬかいみなと)[WEB 6]
- 井ノ上(いのうえ)[WEB 6]
- 今御堂(いまみどう)[WEB 6]
- 上ノ山(うえのやま)[WEB 6]
- 上松(うえまつ)[WEB 6]
- 内山(うちやま)[WEB 6]
- 梅薮(うめやぶ)[WEB 6]
- 江尻(えじり)[WEB 6]
- 江畑(えばた)[WEB 6]
- 王子(おうじ)[WEB 6]
- 大久古(おおくご)[WEB 6]
- 太田新田(おおたしんでん)[WEB 6]
- 奥林(おくばやし)[WEB 6]
- 鍜治替戸(かじかえど)[WEB 6]
- 蟹洗(かにあらい)[WEB 6]
- 上日山(かみひやま)[WEB 6]
- 神田(かんだ)[WEB 6]
- 小山(こやま)[WEB 6]
- 作間(さくま)[WEB 6]
- 七反(しちたん)[WEB 6]
- 下日山(しもひやま)[WEB 6]
- 玉ノ木(たまのき)[WEB 6]
- 月田(つきだ)[WEB 6]
- 道泉(どうせん)[WEB 6]
- 中長(なかおさ)[WEB 6]
- 中野(なかの)[WEB 6]
- 西ケ崎(にしがさき)[WEB 6]
- 錦田(にしきだ)[WEB 6]
- 西ノ浜(にしのはま)[WEB 6]
- 野川(のがわ)[WEB 6]
- 迫(はさま)[WEB 6]
- 土生(はぶ)[WEB 6]
- 浜家(はまけ)[WEB 6]
- 浜田(はまだ)[WEB 6]
- 東作間(ひがしさくま)[WEB 6]
- 日坂野(ひさかの)[WEB 6]
- 前浜(まえはま)[WEB 6]
- 政久(まさきゆう)[WEB 6]
- 松田(まつだ)[WEB 6]
- 松本(まつもと)[WEB 6]
- 宮前(みやまえ)[WEB 6]
- 元町(もとまち)[WEB 6]
- 八ツケ口(やつがぐち)[WEB 6]
- 油井(ゆい)[WEB 6]
- 油井浜(ゆいはま)[WEB 6]
- 横井(よこい)[WEB 6]
歴史
[編集]地名の由来
[編集]台地の下端に湿地帯があり、そこに竹の密集地があったことに由来するという[2]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 7] | 1585世帯 5209人 |
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2000年(平成12年)[WEB 8] | 1764世帯 5343人 |
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2005年(平成17年)[WEB 9] | 2015世帯 5477人 |
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2010年(平成22年)[WEB 10] | 2275世帯 5748人 |
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2015年(平成27年)[WEB 11] | 2513世帯 5984人 |
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2020年(令和2年)[WEB 2] | 2557世帯 5908人 |
沿革
[編集]- 江戸時代 - 宝飯郡竹谷村として所在[2]。
- 慶長6年 - 旗本松平家信の知行地となる[2]。
- 元和4年 - 松平家信が大名となったことから、形原藩領となる[2]。
- 元和5年 - 旗本松平庄右衛門清直の知行地となる[2]。
- 延宝元年 - 幕府領となる[2]。
- 延宝8年 - 旗本松平内匠頭乗親の知行地となる[2]。
- 正徳2年 - 再び幕府領となる[2]。
- 享保3年 - 旗本竹本正綱・富松重基・林重好・桑島政周の4給地となる[2]。
- 天保3年 - 新開地が西尾藩領となり5給地となる[2]。
- 1877年(明治10年) - 太田新田を合併[2]。
- 1889年(明治22年) - 塩津村大字竹谷となる[2]。
- 1906年(明治39年) - 名古屋塩務局蒲郡出張所が蒲郡町から移転[2]。
- 1940年(昭和15年) - 塩津郵便局が開局[2]。
- 1948年(昭和23年) - 塩津中学校が開校[2]。
- 1954年(昭和29年) - 蒲郡市竹谷町となる[2]。
- 1964年(昭和39年) - 東海道本線跨線橋が開通[2]。
- 1966年(昭和41年) - 一部が栄町に編入される[2]。
- 1980年(昭和55年) - 竹谷運動公園が設置[2]。
- 1981年(昭和56年) - 鹿島バイパスが開通[2]。
交通
[編集]施設
[編集]- 竹谷城址[1]
- 蒲郡競艇場[1]
- 公民館[1]
- 蒲郡市立塩津小学校[1]
- 蒲郡市立塩津中学校[1]
- 竹谷神社[1]
- 尺地社[1]
- 浄土宗西山深草派浄夢院[1]
- 真宗大谷派信光寺[1]
- 曹洞宗全保寺[1]
脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県蒲郡市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2024年1月22日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “愛知県蒲郡市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年1月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb “愛知県豊田市明賀町の住所一覧”. ゼンリン. 2024年8月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
書籍
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、竹谷町 (蒲郡市)に関するカテゴリがあります。
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