竹田政一
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竹田 政一 | |
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生誕 |
1894年4月8日 日本 愛知県 |
死没 | 1955年5月13日(61歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
竹田 政一(たけだ せいいち、1894年(明治27年)4月8日[1] - 1955年(昭和30年)5月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1894年(明治27年)に愛知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第38期卒業[1]。1937年(昭和12年)8月に高射砲第3連隊長に就任し[2]、1938年(昭和13年)3月に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1939年(昭和14年)8月に陸軍野戦砲兵学校教官に転じた[2]。
1941年(昭和16年)3月24日に第19砲兵団長(朝鮮軍・第19師団)に就任し[1][2]、8月25日に陸軍少将に進級した[2]。1942年(昭和17年)3月6日に中部防空旅団長(中部軍[3][4])に転じ[1]、11月9日に中部軍司令部附となり[1]、1943年(昭和18年)3月に第3砲兵団長に転じた[1]。1944年(昭和19年)2月に第1砲兵司令官(第2総軍・第16方面軍・第57軍)に就任し[1]、宮崎で本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。