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竹澤権右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹澤 権右衛門(たけざわ ごんえもん)は、義太夫節の三味線方の名跡。代々不明な点が多い。

初代

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生没年不詳

和泉国尾崎の生まれ、井上播磨掾の門弟。播磨掾後に竹本義太夫に付いた。1684年に大坂道頓堀竹本座を開設した際に義太夫を弾いたと言われる。現在でも「野澤」「豊澤」「鶴澤」等の「澤」の姓はこれに由来する。後豊竹座にも出勤。

晩年引退し弟子の指導に尽力した。

2代目

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後に初代豊澤広助を名乗り一派を企てる。

3代目

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(生没年不詳)

2代目権右衛門(後の初代広助)の門弟が1813年に竹澤権右衛門を襲名。豊沢権右衛門ともいう。

4代目

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(生年不詳 - 安政2年(1855年))

大坂泉州堺の生まれ、4代目竹澤弥七の門弟で力造、2代目宗六を経て1835年に5代目弥七を襲名。後に4代目権右衛門を襲名。

5代目

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天保10年1月25日1839年3月10日) - 大正15年(1926年4月13日)本名は鶴沢重助。幼名を卯之松。通称「浮世小路の権右衛門」。

大坂大阪市北区堂島の生まれ、1849年初代鶴澤燕三の門人となり燕四。1865年4代目鶴澤才治1914年に5代目権右衛門を襲名。

2代目竹本津太夫(後7代目竹本綱大夫)の相三味線で活躍。美声であったという。