竹内虎松
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竹内虎松 たけうち とらまつ | |
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生年月日 | 1862年6月11日 |
出生地 |
日本 能登国鳳至郡柳田村 (現:石川県鳳珠郡能登町字柳田) |
没年月日 | 1914年5月2日(51歳没) |
所属政党 | 自由党 |
選挙区 | 石川県第4区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1896年5月1日[1] - 1897年12月25日 |
選挙区 | 鳳至郡選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1890年1月10日 - 1891年10月14日 1893年11月4日 - 1894年11月13日 |
15代 竹内 虎松(たけうち とらまつ、1862年6月11日(文久2年5月14日) - 1914年(大正3年)5月2日)は日本の政治家。衆議院議員(1期)
経歴
[編集]1862年に地元の旧家である竹内家の15代目に生まれる。始め文辰と称したが、1890年3月に虎松に改名した。柳田小学校を卒業し、同校の教員を務めた後、柳田村役場書記となった。1890年1月に石川県会議員補欠選挙に当選し、1891年10月の満期に至った。1893年11月に再選され1894年11月に辞職した。1896年3月に百萬梅治代議士の死去に伴う補欠選挙に出馬し当選、1897年12月の解散に至った。七尾鉄道敷設や鉱山採掘に尽くし、また家業である能登馬の生産に尽力した。晩年は病を患い1914年に死去した。
参考文献
[編集]- 『石川県議會史 第1巻』1969年
註釈
[編集]- ^ 『官報』第3849号、明治29年5月1日