竹井懿貞
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竹井 懿貞(たけい よしさだ[1][2] / いてい[3]、1854年2月8日(安政元年1月11日[3])- 1903年(明治36年)4月25日[4])は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]上野国邑楽郡赤岩村(のち群馬県邑楽郡永楽村→千代田村、現・千代田町)の塩田家に生まれる[1][2][3]。国学、漢学を学び[5]、のちアメリカに留学する[2][3][5]。帰国後、武蔵忍藩領大里郡熊谷町(埼玉県大里郡熊谷町を経て現熊谷市)の武井家の養子となる[1][2][3][6]。熊谷宿戸長、埼玉県属、大蔵省属、同会計課長となり[2]、埼玉県会議員を経て[4]、1880年(明治13年)4月27日に同2代目副議長に就任した[6]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では群馬県第2区から出馬し当選[4]。衆議院議員を1期務めた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
- 群馬県姓氏家系大辞典編纂委員会編『角川日本姓氏歴史人物大辞典10 群馬県姓氏家系大辞典』角川書店、1994年。
- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。