端恪皇貴妃
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端恪皇貴妃(たんかくこうきひ、道光24年10月24日(1844年12月3日) - 宣統2年3月28日(1910年5月7日))は、清の咸豊帝の側妃。姓は佟佳(トゥンギャ)氏。
生涯
[編集]康熙帝の生母孝康章皇后や康熙帝の3番目の皇后孝懿仁皇后、道光帝の2番目の正室・皇后である孝慎成皇后を輩出した名門氏族に生まれる。 咸豊8年(1858年)、数え14歳のとき、咸豊帝の後宮に入り、祺嬪に封された。 同治帝の即位後、皇考祺妃に尊封された。光緒帝の即位後、皇考祺貴妃に尊封された。宣統帝の即位後、皇祖祺皇貴太妃に尊封された。1910年に病没した。端恪皇貴妃と諡され、定陵の妃園寝に埋葬された。端恪皇貴妃は咸豊帝の妃嬪の中で、最後に没した妃嬪であり、また、定陵に埋葬された歴史上最後妃嬪となった。
関連項目
[編集]伝記資料
[編集]- 『清史稿』