立花種治
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立花 種治(たちばな たねはる、天和2年(1682年)[1]-享保12年8月18日(1727年10月3日))は、江戸時代の旗本。筑後国三池藩主家立花氏の分家にあたる立花甲斐守家の分家。幼名は小四郎、通称を助五郎と称した。父は立花種成。母は某氏。兄は立花直時。正室は村田昌和(長庵)の女。子は立花直敬、娘、娘(雅楽頭酒井家家臣の田中平馬妻)、次男、三男、四男、五男。
生涯
[編集]元禄7年(1694年)7月11日に兄が父の家督を相続する際に分家し、相模国大住郡内200石を分知されて小普請となる。宝永2年(1706年)12月26日に大番組士に列し、宝永7年(1710年)に大番組士を辞す。
享保12年(1727年)に死去。享年46.法名は良秋。葬所は深川の心行寺。家督は四男の種成が継ぐ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜 第2』(続群書類従完成会、1964年)
- 寛政重修諸家譜 巻第百十三