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立花直員

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

立花 直員(たちばな なおかず、元禄12年(1699年[1] - 延享4年3月12日1747年4月21日))は、江戸時代中期から後期の旗本筑後国三池藩主家立花氏の分家の一つである立花甲斐守家4代目当主。通称は左門、多宮。父は立花直時、母は柳河藩重臣の立花内膳の娘。実子は立花直堅、娘(立花直救妻)、娘(細井勝晴の妻)。

生涯

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正徳2年(1712年)に徳川家宣へ初御目見えを得る。

父が小姓組番士を辞した翌年の享保9年(1724年)に書院番士となって江戸城二の丸に勤務し、後に西の丸に勤務する。

享保20年(1735年)に父の死を受けて家督相続する。

延享3年(1746年)に書院番士を辞し、延享4年(1747年)に死去、享年49。法名は寿鑑。家督は長男の直堅が継ぐ。

脚注

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  1. ^ 寛政重修諸家譜記載の享年からの逆算

参考文献

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  • 『新訂寛政重修諸家譜 第2』(続群書類従完成会、1964年)
    • 「寛政重修諸家譜 巻百十三」