立花直員
表示
立花 直員(たちばな なおかず、元禄12年(1699年)[1] - 延享4年3月12日(1747年4月21日))は、江戸時代中期から後期の旗本。筑後国三池藩主家立花氏の分家の一つである立花甲斐守家4代目当主。通称は左門、多宮。父は立花直時、母は柳河藩重臣の立花内膳の娘。実子は立花直堅、娘(立花直救妻)、娘(細井勝晴の妻)。
生涯
[編集]父が小姓組番士を辞した翌年の享保9年(1724年)に書院番士となって江戸城二の丸に勤務し、後に西の丸に勤務する。
享保20年(1735年)に父の死を受けて家督相続する。
延享3年(1746年)に書院番士を辞し、延享4年(1747年)に死去、享年49。法名は寿鑑。家督は長男の直堅が継ぐ。
脚注
[編集]- ^ 寛政重修諸家譜記載の享年からの逆算
参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜 第2』(続群書類従完成会、1964年)
- 「寛政重修諸家譜 巻百十三」