立花家治
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立花 家治(たちばな いえはる、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。立花氏の家臣。本姓は多々良氏族大村氏。諱は家治。通称は五郎、淡路。入道号は全長。子は立花統貞(助兵衛)、大村虎秀(長左衛門)。
生涯
[編集]豊後国の戦国大名・大友氏の家臣である戸次鑑連(後の立花道雪)に仕える。
鑑連より初め戸次氏、後に立花氏を賜姓される。『柳河藩享保八年藩士系図』の立花八次郎系譜に掲載される高橋鎮種(後の高橋紹運)が天正9年(1581年)に立花宗茂が立花氏養子になる際に家臣に出した覚に「戸次淡路入道」の名が見える。
立花鎮実(右衛門太夫)や立花統春(次郎兵衛)などと同様に晩年の鑑連の側近となっており、『柳河藩享保八年藩士系図』の立花八次郎系譜に掲載される宗茂(当時、統虎)からの鑑連(道雪)の病状についての知らせを請う5月6日の書状の宛名に「淡路入道殿」の名が見える。
天正年中の大友義統から立花氏家臣連名に与えた感状に「立花淡路入道」の名が見える。
隠居後に与えられた家治の隠居知行150石は文禄5年(1596年)に次男の虎秀に与えられた。