立花壱岐
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立花壱岐 明治元年 | |
時代 | 江戸時代末期(幕末) - 明治時代中期 |
生誕 | 天保2年5月15日(1831年6月24日) |
死没 | 明治14年(1881年)7月24日 |
改名 | 幼名:十時熊五郎→立花峰之助、号:胖亭、髑髏 |
別名 | 諱:親雄 |
戒名 | 賢量院殿呑海親雄大居士 |
墓所 | 柳川市 福厳寺 |
官位 | 贈従四位 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 立花鑑寛 |
藩 | 柳河藩 |
氏族 | 十時氏→立花権佐家 |
父母 | 父:十時三弥助惟信、養父:立花親理 |
兄弟 | 十時維恵(十時摂津)、矢島采女、壱岐、立花駿河、十時信人 |
妻 |
正室:立花登茂子(ともこ、立花親理の娘) 継室:お幸(前妻死後に妾から正妻) |
子 | 猶人(早世)、親義、賜郎、ハマ(小野徳次郎妻)、ハヤ(三池士族妻)、キヲ(十時正雄妻) |
立花 壱岐(たちばな いき)は、幕末の柳河藩最後の家老。諱は親雄。家老・十時三弥助の3男。立花親理の養子。
脚注
[編集]- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.29