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立花壱岐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
立花 壱岐
立花壱岐 明治元年
時代 江戸時代末期(幕末) - 明治時代中期
生誕 天保2年5月15日1831年6月24日
死没 明治14年(1881年7月24日
改名 幼名:十時熊五郎→立花峰之助、号:胖亭、髑髏
別名 諱:親雄
戒名 賢量院殿呑海親雄大居士
墓所 柳川市 福厳寺
官位従四位
幕府 江戸幕府
主君 立花鑑寛
柳河藩
氏族 十時氏立花権佐家
父母 父:十時三弥助惟信、養父:立花親理
兄弟 十時維恵(十時摂津)、矢島采女壱岐立花駿河、十時信人
正室:立花登茂子(ともこ、立花親理の娘)
継室:お幸(前妻死後に妾から正妻)
猶人(早世)、親義、賜郎、ハマ(小野徳次郎妻)、ハヤ(三池士族妻)、キヲ(十時正雄妻)
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立花 壱岐(たちばな いき)は、幕末柳河藩最後の家老親雄。家老・十時三弥助の3男。立花親理の養子。

明治44年(1911年)、従四位を追贈された[1]

脚注

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  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.29