立石寛司
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立石 寛司(たていし かんじ、1827年(文政10年6月[1]) - 1894年(明治27年)1月10日[1])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]長崎県出身[1]。剣術、砲術、兵学を学ぶ[1]。肥前藩大砲鋳造奉行、大小姓を務める[1]。のち、戸長、長崎県会議員、同常置委員、同副議長、衛生委員、徴兵参事員、県立学校商議員となる[1]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において長崎4区から自由党公認で立候補して当選する[2]。1892年の第2回衆議院議員総選挙で再選した[3]。1893年の暮れに衆議院が解散となったが、1894年の第3回衆議院議員総選挙を前に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。