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立石寛司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

立石 寛司(たていし かんじ、1827年文政10年6月[1]) - 1894年明治27年)1月10日[1])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

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長崎県出身[1]剣術砲術兵学を学ぶ[1]肥前藩大砲鋳造奉行、大小姓を務める[1]。のち、戸長長崎県会議員、同常置委員、同副議長、衛生委員、徴兵参事員、県立学校商議員となる[1]

1890年第1回衆議院議員総選挙において長崎4区から自由党公認で立候補して当選する[2]1892年第2回衆議院議員総選挙で再選した[3]1893年の暮れに衆議院が解散となったが、1894年第3回衆議院議員総選挙を前に死去した。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』394頁。
  2. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』6頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』12頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。