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立川文都

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立川関西から転送)
六代目 立川たてかわ 文都ぶんと
六代目 立川(たてかわ) 文都(ぶんと)
丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。
本名 国府こくぶ 秀剛ひでつよ
生年月日 1960年1月31日
没年月日 (2009-10-29) 2009年10月29日(49歳没)
出身地 日本の旗 日本大阪府
死没地 日本の旗 日本東京都
師匠 七代目立川談志
名跡 1.立川関西
(1984年 - 1988年)
2.立川談坊
(1988年 - 1998年)
3.六代目立川文都
(1998年 - 2009年)
出囃子 せり
活動期間 1984年 - 2009年
所属 落語立川流

六代目 立川 文都(たてかわ ぶんと、1960年1月31日 - 2009年10月29日)は落語家大阪府大阪市出身。本名∶国府 秀剛。落語立川流所属。出囃子は『せり』。

経歴

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大阪学院大学外国語学部卒業後の1984年2月、七代目立川談志に入門。関西出身なので「立川関西」と名乗る。

1988年3月、二ツ目昇進して「談坊」と改名。

1998年10月、真打昇進し「六代目立川文都」を襲名。

2009年7月、公式ブログでであることを公表[1]したが、10月29日に胃癌のため死去。49歳[2][3]

11月5日に千葉県習志野市で開かれた「習志野寄席」は急きょ文都を送る会になり、初めて直弟子を失った師匠の談志もかけつけて高座を務めた。文都の代演としてトリを務めたのは兄弟子の立川志の輔[4]

12月14日、上野・東天紅での「お別れの会」には、談志一門だけではなく他の団体の落語家や関係者も多数参加した[5]

芸歴

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演じた俳優

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 東京に虹・アルカンシェイル!”. 立川文都ブログ (2009年7月20日). 2015年5月12日閲覧。
  2. ^ “落語家、立川文都さん死去”. 朝日新聞. (2009年10月31日). http://www.asahi.com/obituaries/update/1031/TKY200910310002.html 2009年10月31日閲覧。 
  3. ^ “立川文都を送る会 談志らが集い”. 朝日新聞DIGITAL. (2009年11月16日). https://www.asahi.com/showbiz/stage/rakugo/TKY200911160234.html 2015年5月12日閲覧。 
  4. ^ 篠崎弘「立川文都を送る会 談志らが集い」『朝日新聞』2009年11月16日。
  5. ^ 撮影:橘蓮二『東京かわら版 平成22年2月号 見る目嗅ぐ鼻』東京かわら版、2010年1月28日、22頁。 

外部リンク

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