立川志ら玉
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(立川らくBから転送)
立川 志ら玉(たてかわ しらたま)は、落語家の名跡。
- 神田志ら玉 - 後∶二代目三遊亭金朝
- 立川志ら玉 - 本項にて記述
丸に左三蓋松は、立川流の定紋である | |
本名 | |
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生年月日 | 1975年7月9日(49歳) |
出身地 | 日本・千葉県鎌ケ谷市 |
師匠 | 二代目快楽亭ブラック 立川志らく |
名跡 | 1. 快楽亭ブラ汁 (2000年 - 2005年) 2. 立川らくB (2005年 - 2007年) 3. 立川らく里 (2007年 - 2015年) 4. 立川志ら玉 (2015年 - ) |
出囃子 | 深川くずし |
活動期間 | 2000年 - |
活動内容 | 落語家 |
配偶者 | あり |
所属 | 落語立川流 |
立川 志ら玉(たてかわ しらたま、1975年7月9日 - )は落語家[1]。落語立川流所属の真打。出囃子は「深川くずし」[1]。本名:村上 大介。
来歴
[編集]1975年7月9日生まれ[1]。鎌ケ谷市立東部小学校、鎌ケ谷市立第二中学校、千葉県立薬園台高等学校を経て、茨城大学人文学部を卒業した[2]。大学では落語研究会に所属[1]。
2000年2月、快楽亭ブラックに入門し、前座名は「ブラ汁」[1][2]。2005年8月、快楽亭ブラックの落語立川流からの除名に伴い、立川志らく門下に移り、「立川らくB」に改名[1][2]。
2007年7月に立川キウイ、立川談大、泉水亭錦魚、立川平林、立川吉幸、立川談奈、立川志らべ、立川らく次と共に二ツ目に昇進し「らく里」と改める。
2015年10月、立川志らら、二代目立川小談志、立川左平次、立川らく朝と共に真打に昇進し「志ら玉」と改名した[1][3]。
芸歴
[編集]- 2000年2月∶快楽亭ブラックに入門、前座名「ブラ汁」[1][2]。
- 2005年8月∶立川志らく門下に移籍、「らくB」に改名[1][2]。
- 2007年7月∶二ツ目昇進、「らく里」と改名。
- 2015年10月∶真打昇進、「志ら玉」と改名。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 「立川志ら玉・新真打インタビュー」『東京かわら版』2015年10月号、16-17頁
- ^ a b c d e “インタビュー・立川らく里さん(City かまがや)”. 2015年12月15日閲覧。
- ^ “落語立川流、志らら、小談志ら5人が真打昇進”. SANSPO.COM (2015年9月23日). 2015年12月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 立川談志・落語立川流一門『談志が死んだ、立川流はだれが継ぐ』講談社、2003年、266P、414P
- 「立川志ら玉・新真打インタビュー」『東京かわら版』2015年10月号、16-17P
外部リンク
[編集]- 立川志ら玉 (@t_rakuri) - X(旧Twitter)
- 立川志ら玉の現場主義日記 - はてなブログ
- 立川志ら玉の現場主義日記 - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)