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穂富山城守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

穂富 山城守(ほとみ やましろのかみ、生年不詳 - 天正12年(1584年))は、戦国時代武将

略歴

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豊臣秀次から軍師と仰がれた人物。天正12年(1584年小牧・長久手の戦いでは敵を察知し、陣を整えるよう秀次に提言した(白山林の戦い) [1]。しかし徳川軍の急襲を受け岡本彦三郎らとともに討死した[2][3]

参考文献

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  • 『改正三河後風土記上巻』(金松堂、1884年、864p)
  • 『秀次公』(井村米太郎、1921年、2p)
  • 『通俗日本全史第10巻』(早稲田大学編輯部 、1913年、257p)

脚注

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