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穀田屋十三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こくだやじゅうざぶろう

穀田屋十三郎
生誕 1720年
死没 1777年
国籍 日本の旗 日本
職業 商人(造り酒屋)[1]
著名な実績 吉岡宿宿場)の運営
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穀田屋 十三郎(こくだや じゅうざぶろう、1720年 - 1777年)は、陸奥国今村(現:宮城県黒川郡大和町)の篤志家商人。「穀田屋」は屋号で、本名は高平十三郎。

来歴

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  • 1720年 - 生まれ。
  • 江戸時代中期の1770年代に、陸奥国仙台藩領の吉岡宿が、「但木氏」の領地内であり仙台藩自体の直轄領ではなかった為に、仙台藩から助成金が給付されず疲弊してゆくだけなのをみて、菅原屋篤平治と組んで、仙台藩に1000という金を貸し付けるという当時としては奇想天外な挙に出た。黒川郡の大肝煎の千坂仲内[2]に相談を持ち掛けるなどして賛同を得た上、有志を募り、合わせて9名で足かけ8年にわたり、小銭を貯めた。その後、仙台藩に貸し付けることに成功した1773年頃から毎年その利子を受け取り、宿場のすべての人々に配分した[3]
  • 1777年 - 没する。墓碑九品寺にある。

没後

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穀田屋は「酒の穀田屋」として現在も吉岡で営業している。

参考文献

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脚注

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外部リンク

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