穀田屋十三郎
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こくだやじゅうざぶろう 穀田屋十三郎 | |
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生誕 | 1720年 |
死没 | 1777年 |
国籍 | 日本 |
職業 | 商人(造り酒屋)[1] |
著名な実績 | 吉岡宿(宿場)の運営 |
穀田屋 十三郎(こくだや じゅうざぶろう、1720年 - 1777年)は、陸奥国今村(現:宮城県黒川郡大和町)の篤志家で商人。「穀田屋」は屋号で、本名は高平十三郎。
来歴
[編集]- 1720年 - 生まれ。
- 江戸時代中期の1770年代に、陸奥国仙台藩領の吉岡宿が、「但木氏」の領地内であり仙台藩自体の直轄領ではなかった為に、仙台藩から助成金が給付されず疲弊してゆくだけなのをみて、菅原屋篤平治と組んで、仙台藩に1000両という金を貸し付けるという当時としては奇想天外な挙に出た。黒川郡の大肝煎の千坂仲内[2]に相談を持ち掛けるなどして賛同を得た上、有志を募り、合わせて9名で足かけ8年にわたり、小銭を貯めた。その後、仙台藩に貸し付けることに成功した1773年頃から毎年その利子を受け取り、宿場のすべての人々に配分した[3]。
- 1777年 - 没する。墓碑は九品寺にある。
没後
[編集]穀田屋は「酒の穀田屋」として現在も吉岡で営業している。
- 2003年(平成15年) 穀田屋十三郎ら先人の功績に感謝する大和町の有志らが、後世に伝えようと九品寺(吉岡)に、国恩記顕彰碑を建立した。
- 2012年(平成24年) 歴史家・磯田道史によって「無私の日本人」という江戸時代を生きた3人の人物の評伝で、そのうちの1人として、当時の吉岡宿の様子を通して穀田屋十三郎が紹介された。
- 2016年5月14日公開の日本映画『殿、利息でござる!』として、中村義洋監督メガホンで「無私の日本人」を元に映画化された[4]。
参考文献
[編集]- 『無私の日本人』歴史家:磯田道史 著(ISBN 978-4-16-375720-9 )
脚注
[編集]- ^ 地域を救った先人を語り継ぐ
- ^ 志戸田村(現:富谷市)の大肝煎千坂半左衛門の二男
- ^ 国恩記(こくおんき)の人々
- ^ 殿、利息でござる!