稲生真履
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稲生 眞履(いのう まふみ[1]/しんり[2]、天保14年9月29日(1843年10月22日)[1] - 大正14年(1925年)2月1日)は、明治・大正時代の宮内省官僚。通称は潜蔵。
三河国挙母城下の久保町(現・愛知県豊田市久保町)出身。挙母藩の儒者・竹村方斎に師事し、江戸に出てからは加藤張卿に学んだ[1]。
維新後、奈良県庁に就職するが、すぐに宮内省に移り、奈良帝室博物館(現・奈良国立博物館)の学芸員となる。1900年(明治33年)、勲七等瑞宝章を受章。また、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の学芸委員に移り、特に刀剣や書画を始めとする古美術に精通した[1]。
森永製菓を創立した一人である稲生平八とは兄弟であり、三女季子は秋山真之の妻。