稲森照男
稲森 照男(いなもり てるお、1931年(昭和6年)1月31日[1] - 2020年(令和2年)7月12日[2])は、日本の実業家。稲森パーキング創業者。元静岡県ハンドボール協会会長。元日本体育協会理事。旭日小綬章受章。
人物・経歴
[編集]1943年(昭和18年)、静岡県立静岡中学校入学、1948年(昭和23年)、静岡県立静岡第一高等学校卒業[3]。同年、慶應義塾大学経済学部入学[4]、ハンドボール部に所属。3,4年生時、関東学生選抜、4年生時、主将。この間、地元静岡県立静岡城北高等学校の技術指導を行い、同校が数年に亘り全日本高校選手権、国民体育大会で優勝する黄金時代の基礎づくりに貢献した[4]。
大学卒業後は食品原料卸商、富士農商事に入社[4]、1959年(昭和34年)[5]、総理府より皇太子御成婚記念行事として実施された、日本青年海外派遣団員として米国に3ヶ月滞在[4]。このアメリカ滞在の経験から、将来の日本におけるモータリゼーション化を予測、昭和30年代、駐車場業という業態が日本に一件もなかった時代に、いち早く産業として日本に導入。静岡市中心街にて駐車場業を開始し、これがのちの稲森パーキング創業に繋がっていく。1964年(昭和39年)、静岡県青年会議所理事長。1968年(昭和43年)、富士農商事株式会社代表取締役社長[4]に就任。日本平ゴルフクラブ社長・理事長、菊川カントリークラブ会長兼社長、全日本駐車協会副会長、静岡県駐車協会会長、一般社団法人静岡倶楽部第十四代理事長(2007年-2010年)などを務め、静岡県の産業の発展に貢献した。
ハンドボール界では、1977年(昭和52年)、静岡県ハンドボール協会第五代会長に就任。母校、慶應義塾大学ハンドボール部会長を務めた。1985年(昭和60年)より5年間、日本体育協会の理事を、また県体育協会顧問を務め、スポーツ振興にも貢献した。2003年(平成15年)、旭日小綬章受章。
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2018~2020』(日外アソシエーツ、2021年)p.61
- ^ あなたの静岡新聞 墓碑銘2020 2020.12.31
- ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 93頁。
- ^ a b c d e 『ハンドボール』第四四八号p10
- ^ ドリーマー紹介(稲森 照男)