稲木芳雄
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稲木 芳雄[1][2](いなぎ よしお、生没年不詳)は、日本の実業家、静岡市の富豪[1]。稲木商店、皮革骨脂製造販売業[2]。
経歴
[編集]製革業・稲木亀次郎[3]の長男[2]。静岡商業学校を卒業[2]。東都に遊び、後に徴兵となり1年志願兵として東京砲兵連隊に入隊する[2]。陸軍砲兵少尉に任ぜられる[2]。帰静後父業をたすけ、皮革骨脂製造販売業を営む[2]。1924年に父が亡くなり、家督を相続し、益々家業の繁栄を見る[2]。資本家として各種事業に投資する[2]。
人物
[編集]寺田蘇人著『部落の人豪』に静岡市の部落有力者・人豪富豪として稲木芳雄の名前が挙げられている[1]。同書によると稲木は「その人格、声望、識力、材幹が遠州の北村君と供に東海部落の双璧である」という[1]。
稲木芳雄について、『帝国信用録 19版 大正15年』には「皮革、静岡白山」とある[5]。『大日本商工録 昭和7年版』には「伊豆屋、静岡市新通六丁目、原皮及、石鹸、原料、創業明治初年」とある[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 『部落の人豪』113頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『静岡県職業名鑑 御成婚紀念』94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月11日閲覧。
- ^ 『静岡商工人名録 2巻』178頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月13日閲覧。
- ^ 『銕城記寿録』141頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月18日閲覧。
- ^ 『帝国信用録 19版 大正15年』静岡県 2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月11日閲覧。
- ^ 『大日本商工録 昭和7年版』静岡県 46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 『静岡商工人名録 2巻』静岡商業会議所、1917 - 1920年。
- 蘇人寺田勇吉『部落の人豪』藤屋商店出版部、1920年。
- 久保田甚作『静岡県職業名鑑 御成婚紀念』久保田政春、1926年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 19版 大正15年』帝国興信所、1926年。
- 大日本商工会編『大日本商工録 昭和7年版』大日本商工会、1932年。
- 村居銕次郎『銕城記寿録』銕城記寿録刊行会、1942年。