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稲山壬子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

稲山 壬子(いなやま じんし、1912年3月29日 - 1996年4月18日)は、日本のバレーボール指導者。

来歴

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埼玉県南埼玉郡宮代町出身。日本体育会体操学校(後の日本体育大学)を経て、1933年に東京千代田学園バレーボール部監督。1943年に久喜高等女学校(現久喜高校)バレーボール部監督に就任し、全国大会優勝4回を達成。同校をバレーボール名門校に導いた[1]

1962年に1964年東京オリンピック強化コーチに就任。同大会での金メダル獲得に陰ながら貢献した。

1969年に東京三洋電機バレー部監督に就任し、チームを日本リーグ昇格まで導いた。全く無名の新人だった前田悦智子を「三年以内に全日本のエースにする」と宣言し育成した[2]

1981年、郷里に「稲山バレーボール記念館」を設立し、1983年三洋電機総監督を退任。1996年に84歳で没した。

著書

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  • 「ヤル気を湧かせる : わがバレーボール教育」1983年11月 第三文明社刊 ISBN 4-476-03107-2
  • 「稲山壬子 白球を追って50年 道を極める」

脚注

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  1. ^ 同校は、モントリオールオリンピック金メダリストの吉田真理子らを輩出している。
  2. ^ 月刊バレーボール 1978年6月号 82ページ

参考文献

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外部リンク

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