稲塚権次郎
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稲塚 権次郎(いなづか ごんじろう、旧字:稻塚 權次郎、1897年(明治30年) - 1988年(昭和63年))は、日本の農学者。
緑の革命以降、世界に流通することになった小麦品種「ゲインズ」の親品種である「小麦農林10号」(ノーリン・テン)の育成者として知られる[1]。
経歴
[編集]- 1897年(明治30年)、現在の富山県南砺市で誕生
- 高等小学校卒業後、富山県立農学校に入学
- 1914年(大正3年)3月、農学校を首席で卒業し、東京帝国大学農科大学入学
- 1918年(大正7年)、大学を卒業、農商務省の農事試験場に就職
- 1919年(大正8年)、秋田の陸羽支場に赴任。 のちに「陸羽132号」完成
- 「水稲農林1号」(コシヒカリ、ササニシキ、あきたこまちの先祖)完成
- 1926年、岩手県農事試験場に転勤
- 1929年(昭和4年)、「小麦農林1号」完成
- 1935年(昭和10年)には「小麦農林10号」を完成
- 1938年(昭和13年)、北京の華北産業科学研究所(義和団の乱の賠償金還元目的に外務省が設置)に転任
- 1947年(昭和22年)、日本に帰国
- 1957年(昭和32年)2月15日、農林省金沢農地事務局計画部長辞職[2]。富山県東礪波郡城端町、構造改善事業地区委員長に就任
- 1971年(昭和46年)11月5日、勲三等瑞宝章受章[3]
- 1981年(昭和56年)、日本育種学会大会で講演
- 1988年(昭和63年)12月7日、死去。従五位に叙される[4]。
映画化
[編集]NORIN TEN 〜稲塚権次郎物語〜 | |
---|---|
監督 | 稲塚秀孝 |
脚本 | 稲塚秀孝 |
製作 | 吉川愛美 |
出演者 |
仲代達矢 松崎謙二 野村真美 藤田弓子 益岡徹 舞川あいく 他 |
音楽 | P.P.M 林久美子 |
主題歌 | 森恵「ユメオイビト」[5] |
撮影 | 三浦貴広 |
編集 | 矢船陽介 |
制作会社 | タキオンジャパン |
配給 | アークエンタテインメント |
公開 |
2015年5月9日(富山県内先行上映[6]) 2015年9月19日(有楽町スバル座他全国各地にて) |
上映時間 | 110分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
2015年に稲塚権次郎の生涯を描く映画『NORIN TEN〜稲塚権次郎物語〜』(稲塚秀孝監督)が公開された[7]。
主なキャスト
[編集]- 稲塚権次郎:仲代達矢
- 稲塚権次郎(青年期):松崎謙二
- 稲塚こう(権次郎の母):藤田弓子
- 佐藤イト(権次郎の妻):野村真美
- 羽田武(権次郎の親友):益岡徹
- 若き育種家:舞川あいく
- 舞川は本作が初の映画出演。英語の台詞があったため、撮影前に英会話教室に通っていたという[8]。
参照
[編集]- 『植物はヒトを操る』2010年、いとうせいこう、竹下大学、毎日新聞社
- 『世界の食糧危機を救った男―稲塚権次郎の生涯』1996年、千田篤、家の光協会
- 世界を変えたノーリン・テン -稲塚権次郎、小麦と故郷に捧げた生涯- ~現在50カ国で500品種を栽培~ 稲塚 権次郎
脚注
[編集]- ^ 半澤孝平 (2017年4月1日). “シネマアイリス 8日から仲代達矢さん関連映画上映”. 函館新聞 2017年10月14日閲覧。
- ^ 昭和32年2月18日付け『官報』第9043号、329頁。
- ^ 昭和46年11月5日付け『官報』第13463号、12頁。
- ^ 平成元年1月9日付け『官報』第1号、10頁。
- ^ アルバム『small world』(2015年8月19日発売・CTCR-14822)所収。
- ^ “No.705:映画『NORIN TEN〜稲塚権次郎物語〜』5月9日(土)から富山県内先行上映”. トヤマジャストナウ. 富山県経営管理部広報課 (2015年4月30日). 2016年2月21日閲覧。
- ^ “苫東で4年ぶり映画ロケ 「稲塚権次郎物語」 原野に馬、広大な土地アピール”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2014年7月19日)
- ^ “舞川あいく「自分の実力が試されている」『CanCam』卒業後の心境と熾烈な業界で輝く秘訣”. モデルプレスインタビュー. モデルプレス (2015年9月4日). 2016年2月21日閲覧。