コンテンツにスキップ

税所敦朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
税所 敦朝
時代 戦国時代室町時代後期) - 江戸時代初期
生誕 永禄12年(1569年
死没 慶長13年11月17日1608年12月24日
霊名 レオ
主君 北郷三久
テンプレートを表示
福者 レオ税所七右衛門
殉教者
生誕 室町幕府
日向国都城
(現・日本の旗 日本 宮崎県都城市)
死没 江戸幕府
薩摩国(現・日本の旗 日本 鹿児島県
崇敬する教派 カトリック教会
列福日 2008年11月24日
列福場所 長崎県長崎市
列福決定者 ベネディクト16世
テンプレートを表示
税所 敦朝
教会 カトリック教会(キリシタン)
洗礼名 レオ
受洗日 1608年7月22日
テンプレートを表示

税所 敦朝(さいしょ あつとも、永禄12年(1569年) - 慶長13年11月17日1608年12月24日))は、平佐(現在の鹿児島県薩摩川内市平佐町)領主北郷三久の家臣。通称は七右衛門。レオ税所七右衛門。薩摩国初の殉教者。

経歴

[編集]

永禄12年(1569年)、日向国都城生まれ。慶長元年(1596年)、主君である北郷三久の転封に従って平佐へ移住。そこで、パウロ吉右衛門からキリスト教のことを聞き、京泊教会へ行き、1608年7月22日に洗礼を受けレオと名乗る。後に、次男の敦吉も受洗しミカエルと名乗る。当時すでに、北郷氏はキリスト教を禁止していたので、三久はレオに死刑を宣告した。親戚や友人は3日間にわたり棄教を勧めたが、レオはこれを拒否し十字架にかけられることを希望した。結局、十字架ではなく、屋敷前の十字路で斬首され、遺体は京泊教会に埋葬された。翌年、薩摩に宣教師退去命令が出され教会も解体された。レオの遺骨は長崎へ移され、さらにマニラに渡ったが、慶安2年(1649年)の地震により失われた。

列福

[編集]

2007年教皇ベネディクト16世ペトロ岐部と187殉教者列福を承認し、税所敦朝は福者となった。

参考文献

[編集]
  • 『都城市史』
  • 『ペトロ岐部と一八七殉教者』(2007年 カトリック中央協議会)