秦相光
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正9年10月3日(1581年11月9日) |
官位 | 従三位 |
氏族 | 松尾大社神主家秦氏 |
父母 | 父:秦相豊 |
妻 | 中御門宣秀の娘、山科言綱の娘[1] |
子 | 相房 |
秦 相光(はた の すけみつ)は、戦国時代の松尾大社の神主。秦相豊の子。官位は従三位。松尾大社神官の東家・南家の祖[2]。
出自
[編集]松尾大社神主家の東本家に伝わった「東本家系図」によると、松尾大社の創建者である秦都理の末裔で秦相豊の子とされる。同系図によると、秦都理からの系譜は秦都理-峯雄-有司-春種-常忠-忠親-常遠-奉親-相宣-相範-相光-相任-頼任-親任-頼親-相親-頼康-相久-康継-相幸-久継-康貫-孝久-孝頼-頼為-久貫-孝貫-相季-相通-相吉-相郷-相種-相冬-相豊-相光とされる[2]。
概要
[編集]「東本家系図」によると、天文10年(1542年)4月1日に松尾大社神主に任じられ、永禄6年(1563年)4月13日に従三位に叙され、天正9年(1581年)10月3日に死去したとされる。子の秦相房は松尾大社東家の祖である[2]。