松室敦子
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松室 敦子(まつむろ あつこ、? - 1746年12月20日(延享3年11月9日))は、霊元天皇の後宮。父は非蔵人の松室重敦。母は杉山久左衛門の娘。猶父は岩倉乗具。出仕名は柏木・伊勢・右衛門佐局[1]。秦敦子とも呼ばれる。
皇子の有栖川宮職仁親王・尭恭法親王・皇女の吉子内親王の生母。
1713年(正徳3年)9月頃までには霊元天皇に出仕していたとみられる。1715年(正徳5年)5月9日に院御所中臈となり、右衛門佐局の名を賜る[2]。
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