秋月城 (紀伊国)
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秋月城 (和歌山県) | |
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城郭構造 | 平城 |
築城主 | 紀俊連 |
築城年 | 延徳年間 |
主な改修者 | 紀氏、太田氏 |
主な城主 | 板垣周防守 |
廃城年 | 1585年 |
遺構 | 曲輪、空堀 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯34度13分48.2秒 東経135度12分14.6秒 / 北緯34.230056度 東経135.204056度座標: 北緯34度13分48.2秒 東経135度12分14.6秒 / 北緯34.230056度 東経135.204056度 |
地図 |
秋月城(あきづきじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市にあった日本の城。
概要
[編集]延徳年間(1489 - 1492年)に国造紀俊連が日前神宮・國懸神宮保護のために築き、飯垣周防守に守らせたと言われるが、文明年間(1469 - 1487年)の築城という説もある[1]。
戦国時代には太田党の支城として役割を果たしたが、1585年(天正13年)の豊臣秀吉の紀州攻めにより廃城となる。
城は平城。和歌山県道145号(通称宮街道)が横切っているため、城址はほとんど残っていない。わずかに曲輪と堀跡がわかる程度。規模は東西20メートル、南北54メートル[1]。