秋元恵美
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選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | あきもと えみ | |||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Emi Akimoto | |||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||
競技 | トラック競技 (ハードル競走) | |||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 100mH | |||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 国士舘大学 | |||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1956年7月19日(68歳) | |||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 埼玉県 | |||||||||||||||||||||||||||||
成績 | ||||||||||||||||||||||||||||||
世界選手権 | 100mH 準々決勝3組8着 (1983年) | |||||||||||||||||||||||||||||
国内大会決勝 |
日本選手権 100mH 優勝 (1977,79,80,81,82,83年) | |||||||||||||||||||||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||||||||||||||||||||
50mハードル | 7秒19 (1986年) | |||||||||||||||||||||||||||||
100mハードル | 13秒63 (1982年) | |||||||||||||||||||||||||||||
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秋元 恵美(あきもと えみ、1956年7月19日[1] - )は、日本の元陸上競技選手。専門分野はハードル競走。アジア陸上競技選手権大会において1979年から1983年までの間に100mハードルでいずれも大会新記録による3連覇を達成した。1982年アジア競技大会では、ハードルと400mリレーで2個の金メダルを獲得している。日本陸上競技選手権大会では6度優勝した。
このほか、1983年世界陸上競技選手権大会では日本代表、IAAF陸上ワールドカップ(1979年・1981年)ではアジア代表として、それぞれ出場歴がある。
現役時代の後半には、結婚に伴い佐々木 恵美(ささき えみ)の名前で競技会に出場した。引退後の教育研究活動では、正字体の秋元惠美の表記も使用されている[2]。
来歴
[編集]生い立ちとキャリア初期
[編集]陸上競技を始めた頃は短距離走の選手で、埼玉県立岩槻商業高等学校在学中だった1975年2月1日に東京体育館で開催された国際室内陸上競技会の50mでは、2度のオリンピック代表歴のあるマミー・ラリンズ(アメリカ合衆国)のみに敗れる2位に入り、タイムは同着(6秒7)だった[3][4]。
国士舘大学に進学[5]。1977年の第61回日本陸上競技選手権大会で100mハードルに、14秒09の当時の電気計時大会記録で初優勝する[6]。同大会では100mにも出走して12秒36のタイムで2位となっている[7]。同年、キャンベラで開催された1977年太平洋沿岸五か国対抗陸上競技大会に、アメリカのデービー・ラプランテとオーストラリアのチェリル・ボスウェルに次ぐ3位となり、国際大会で初のメダルとなった[8]。この大会では400mリレーにも出場し、最下位ながら日本新記録を達成している[9]。この年、埼玉県スポーツ協会の「野口記念体育賞」を受賞している[10]。
初のアジアタイトル
[編集]1978年の第62回日本陸上競技選手権大会では茂木多美江(長野県立小諸高等学校教員)に連覇を阻まれたが、1979年の第63回日本陸上競技選手権大会では13秒81の記録でタイトルを奪回した[6]。1979年に国士舘大学を卒業すると、研究助手として大学に残った[2]。母国の東京で開催された1979年アジア陸上競技選手権大会の日本代表に選ばれ、大会新記録の14秒17で優勝した[11][12]。同年、モントリオールで開催された1979年IAAF陸上ワールドカップが世界大会へのデビューとなり、アジア代表として8位の結果だった。
日本陸上競技選手権大会では1980年(第64回)、1981年(第65回)で連覇を伸ばし、後者では13秒71に記録を向上させた[6]。1981年に埼玉県立上尾沼南高等学校の教員となる[2]。1981年太平洋沿岸五か国対抗陸上競技大会では、走高跳の福光久代とともに2人だけの日本女子個人金メダリストとなった[8]。アジアレベルでの競技を続け、再び東京で開催された1981年アジア陸上競技選手権大会では13秒78の大会新記録で連覇を達成した[11][12]。1981年IAAF陸上ワールドカップでは前回に続き8位だった。
アジア大会と3度目のアジア陸上
[編集]競技歴のピークとなったのは1982年アジア競技大会で、同じ日本の秋元千鶴子および前回優勝の中国選手を抑えて、13秒63の自己ベスト記録で優勝した[13]。秋元のほかに小西恵美子(1981年アジア陸上200m優勝[12])・磯崎公美(1982年アジア大会200m・400m優勝)・吉田淳子(1981年アジア陸上400m優勝[12])といった短距離の精鋭をそろえた400mリレーでは、45秒13のアジア新記録で2つめの金メダルを手にした[13][14]。
日本陸上競技選手権100mハードルでの優勝は1983年(第67回)まで続き、5連覇となった(1983年は結婚後の佐々木姓で出場)[6]。この年、3度目となる1983年アジア陸上競技選手権大会に出場し、2.0mの向かい風という条件の中、大会新記録(自己ベストタイの13秒63)で3連覇を達成した[11][12]。ヘルシンキで開催された、1983年世界陸上競技選手権大会に出場し、準々決勝では同組トップの13秒73を記録したが、全体では8位となり、準決勝には進めなかった[15]。
秋元は、1986年に室内50mハードルで7秒19となり、自身最後の日本新記録をマークした(この記録は2022年6月現在、破られていない)[16]。
現役引退後は、1993年から埼玉県立上尾高等学校、2004年から母校の埼玉県立岩槻商業高等学校の教員をそれぞれ務め、2017年3月に県立高校の教員を退いた[2]。同年4月から母校の国士舘大学体育学部体育学科で准教授となる[2][17]。一方、2015年に埼玉県陸上競技協会理事に就任したほか[2]、日本陸上競技連盟において、青少年に陸上競技を普及する任に就いている[18]。
国際競技大会成績
[編集]年 | 大会 | 会場 | 結果 | 種目 | 補足 |
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1977年 | 太平洋沿岸五か国対抗陸上競技大会 | キャンベラ | 3位 | 100 m ハードル | 14.44 |
1979年 | アジア陸上競技選手権大会 | 東京都 | 優勝 | 100 m ハードル | 14.17 |
IAAF陸上ワールドカップ | モントリオール | 8位 | 100 m ハードル | 14.28 | |
1981年 | 太平洋沿岸五か国対抗陸上競技大会 | クライストチャーチ | 3位 | 100 m ハードル | 13.83 |
アジア陸上競技選手権大会 | 東京都 | 優勝 | 100 m ハードル | 13.78 | |
IAAF陸上ワールドカップ | ローマ | 8位 | 100 m ハードル | 13.97 | |
1982年 | 1982年アジア競技大会 | ニューデリー | 優勝 | 100 m ハードル | 13.63 |
優勝 | 4 × 100 m リレー | 45.13 | |||
1983年 | アジア陸上競技選手権大会 | クウェート市 | 優勝 | 100 m ハードル | 13.63 |
1983年世界陸上競技選手権大会 | ヘルシンキ | 準々決勝8位 | 100 m ハードル | 13.73 |
脚注
[編集]- ^ Emi Akimoto. All Athletics[リンク切れ]
- ^ a b c d e f 秋元 惠美 - reserchmap
- ^ 「ラリンズ、圧倒的強さ」朝日新聞1975年2月2日朝刊15頁
- ^ “Sports Shorts, Tokyo” (英語) (PDF). The Sunday Citizen, Auburn: pp. 15. (1975年2月2日) 2022年6月17日閲覧。
- ^ 6.陸上競技部 (PDF) - 国士舘大学(国士舘100周年創立記念祭)2022年6月17日閲覧。
- ^ a b c d 過去の優勝者・記録 女子100mHR - 日本陸上競技連盟(第104回日本陸上競技選手権大会ウェブサイト)2022年6月17日閲覧。
- ^ 読売新聞1977年10月31日朝刊16頁
- ^ a b Pacific Conference Games - GBR Athletics(英語)2022年6月17日閲覧。
- ^ 読売新聞1977年12月4日朝刊17頁
- ^ 野口記念体育賞 歴代受賞者 - 埼玉県スポーツ協会
- ^ a b c Asian Championships - GBR Athletics(英語)2022年6月17日閲覧。
- ^ a b c d e アジア選手権金メダリスト - 日本陸上競技連盟
- ^ a b Asian Games - GBR Athletics(英語)
- ^ Women's relay medallists Archived 2015-11-17 at the Wayback Machine.2014年(英語、2022年6月17日閲覧)
- ^ Emi Sasaki - 国際陸上競技連盟(2022年6月17日閲覧)
- ^ 日本記録 女子(室内) - 日本陸上競技連盟(2022年6月17日閲覧)
- ^ 2022年現在の同学科の教員には秋元の名前はないが(教員情報 - 国士舘大学体育学部(2022年6月18日閲覧))、退任時期は不明。
- ^ IAAF Kids and Youth News - 国際陸上競技連盟 (2009年12月、英語)2022年6月17日閲覧。
外部リンク
[編集]- Emi Akimoto - ワールドアスレティックスのプロフィール