私審判
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私審判(ししんぱん、英語: The Particular Judgment[1][2], ロシア語: Частный суд[3])とは、正教会・カトリック教会で、人が死後に直ちに受けるとされる審判のこと。イエス・キリストの再臨後に人が受ける公審判とは区別される。
正教会とカトリック教会に共通する理解
[編集]死とは、霊魂が肉身を離れることと理解される[4][5]。人は死んでから、肉身は土となる(創世記3:17 - 19[4]、コヘレトの言葉12:1 - 17[5])。
霊魂は直ちに神の審判を受ける。これは全ての死者の復活の前に行われる最後の審判、すなわち公審判とは区別される[4][6]。
聖書の箇所としては、以下が挙げられる(他にも多数ある)。
- 富める者と貧しきラザロのたとえ(ルカ16:19 - 31)[4][6]
- 回心した犯罪者に向けられた十字架上のイエスの言葉:「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ23:43)[4][6]
- 「人一度死して、然る後審判あるは、定まれることなり」(ヘブル9:27)[4][6]。
正教会とカトリック教会の違い
[編集]正教会においては、死後ただちに受ける私審判については、その生涯にわたって行った善悪について神の裁きが行われる、それぞれに相応しい仮の報いを受けるものとされる[4]。
カトリック教会においては、私審判の後に、「清めを経た上で至福に入るか、直接に天の至福に入るか、直ちに永遠の苦しみを受けるか」のいずれかの報いを受けるとされる[6]。
カトリック教会における私審判の結果としての「清めを経た上で至福に入る」とは煉獄を指すが、煉獄の教えは正教会には無い[7]。
脚注
[編集]- ^ The Greek Orthodox Church
- ^ I. The Particular Judgment
- ^ Частный Суд!
- ^ a b c d e f g 日本ハリストス正教会教団『正教要理』96頁 - 103頁、昭和55年12月12日
- ^ a b 『カトリック教会のカテキズム』303頁 - 304頁、2002/7/31 ISBN 9784877501013
- ^ a b c d e 『カトリック教会のカテキズム』307頁 - 313頁、2002/7/31 ISBN 9784877501013
- ^ イラリオン・アルフェエフ著、ニコライ高松光一訳『信仰の機密』190頁、東京復活大聖堂教会(ニコライ堂) 2004年
参考文献
[編集]- 日本ハリストス正教会教団『正教要理』96頁 - 103頁、昭和55年12月12日
- イラリオン・アルフェエフ著、ニコライ高松光一訳『信仰の機密』190頁、東京復活大聖堂教会(ニコライ堂) 2004年
- 『カトリック教会のカテキズム』2002/7/31 ISBN 9784877501013
- 『公教要理』公教会
- 『現代カトリック事典』エンデルレ書店
外部リンク
[編集]- 世界観-天国:日本正教会 The Orthodox Church in Japan(日本正教会公式ページ。審判・終末についての観方を含む)
- カトリックの教理を見直す - ウェイバックマシン(2008年8月21日アーカイブ分)(イエズス会司祭・上智大学神学部教授:岩島忠彦による。終末についての説明を含む)