福米村 (鳥取県西伯郡)
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ふくよねそん 福米村 | |
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廃止日 | 1938年3月17日 |
廃止理由 |
編入合併 加茂村、福生村、福米村 → 米子市 |
現在の自治体 | 米子市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 西伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,004人 (国勢調査、1935年) |
隣接自治体 | 福生村、米子市、加茂村 |
福米村役場 | |
所在地 | 鳥取県西伯郡福米村大字西福原 |
ウィキプロジェクト |
福米村(ふくよねそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった村。現在の米子市の一部にあたる。
地理
[編集]弓ヶ浜半島の基部外浜に位置し、北は美保湾に面していた[2]。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡西福原村、東福原村、米原村が合併して村制施行し、福米村が発足[1][2]。旧村名を継承した西福原、東福原、米原の3大字を編成[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]。
- 1919年(大正8年)大字西福原で大火が発生し、大字東福原まで延焼し、1集落が全焼した[4]。
- 1936年(昭和11年)婦人消防隊結成[2]
- 1938年(昭和13年)3月17日、米子市に編入され廃止[1][2]。編入後、米子市大字西福原・東福原・米原となる[2]。
地名の由来
[編集]合併旧村名の各一文字を組み合わせたもの。
産業
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]教育
[編集]- 1874年(明治7年)車尾小学校から独立して東福原小学校開校[3]。1877年(明治10年)上福原小学校を合併[3]。1884年(明治17年)校舎を新築したが、1886年(明治19年)暴風雨により校舎倒壊[3]。1887年(明治20年)車尾小学校に併合[3]。1890年(明治23年)福米小学校開校[3]。1907年(明治40年)高等科を併置したが1909年(明治42)に廃止し、校名を福米尋常小学校に改称[3]。1919年(大正8年)校舎全焼し1922年(大正11年)新校舎落成[3]。1935年(昭和10年)高等科女子部を併置し福米尋常高等小学校に改称[3]。
- 1909年(明治42年)教育施設・奨業園を開設[2]。1913年(大正2年)私立代用感化院に改称[2]。1926年(大正15年)県立奨徳学園となる[2]。(現: 児童自立支援施設県立喜多原学園)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。