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福留清四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福留清四郎
ふくとめ せいしろう
生年月日 1855年12月26日
出生地 日本の旗 日本 伯耆国
(現・鳥取県西伯郡大山町
没年月日 (1921-02-08) 1921年2月8日(65歳没)
前職 農業
所属政党帝国党→)
大同倶楽部→)
中央倶楽部
称号 勲四等

選挙区 鳥取県郡部選挙区
当選回数 2回
在任期間 1904年 - 1912年5月14日

選挙区汗入郡選挙区→)
西伯郡選挙区
当選回数 4回
在任期間 1895年2月 - 1895年5月
1895年6月8日 - 1897年4月
1899年9月21日 - 1904年3月3日
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福留 清四郎(ふくとめ せいしろう、1855年12月26日安政2年11月18日[1][2]) - 1921年大正10年)2月8日[2][3])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。勲等は勲四等[4]

経歴

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伯耆国生まれ[注釈 1](現・鳥取県西伯郡大山町)。農業を営む[3]1895年明治28年)2月から同年5月まで、同年6月8日から1897年(明治30年)4月まで、1899年(明治32年)9月21日から1903年(明治36年)9月20日まで、同月21日から1904年(明治37年)3月3日までの4期に渡って帝国党所属鳥取県会議員を務めた[2][注釈 2]

同年の第9回衆議院議員総選挙において鳥取県郡部から帝国党公認で立候補して初当選[8]。続く1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙では大同倶楽部公認で立候補して再選[9]。最後は中央倶楽部に所属した[4]1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1921年(大正10年)死去。

出典

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注釈

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  1. ^ 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』には鳥取県西伯郡逢坂村生まれとある[4]
  2. ^ 1895年2月と6月は汗入郡選出、1899年と1903年は西伯郡選出[5][6][7]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第二十七回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1910年、20頁。
  2. ^ a b c 鳥取県議会史 別巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』550頁。
  4. ^ a b c 衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 鳥取県史 近代 第5巻 (資料編)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 鳥取県史 近代 第5巻 (資料編)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 鳥取県史 近代 第5巻 (資料編)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』46頁。
  9. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』50頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。