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福田正臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福田正臣
生誕 (1919-03-25) 1919年3月25日
日本の旗 日本 鹿児島県大島郡龍郷町中勝
死没 (2012-03-28) 2012年3月28日(93歳没)
日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市[1]
医学関連経歴
職業 医者
専門 内科医

福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日[2] - 2012年3月28日 [2])は、日本医師内科医[2]

人物

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鹿児島県大島郡龍郷町中勝出身。第七高等学校造士館 (旧制)卒業。九州大学医学部卒業[3]。医師免許取得後しばらくして、鹿児島大学で研究活動する。

1953年 九州大学より医学博士。論文の題は 「抗痙攣剤の人体脳波に及ぼす影響について」。[4]

1966年、鹿児島大学医学部助教授のとき、101歳という泉重千代を診察し、「100歳を過ぎても胃腸はすこぶる順調。歯がなくなったものの普通にご飯やおかずを食べる、目も耳も達者である」とする[5]1973年、107歳という泉重千代と会う[5]1979年、「日本老年医学会」で、泉重千代の世界最高年齢に否定的な研究を発表する[5]

自然保護運動にも、積極的に参加する。1978年4月には、「鹿児島・渚を愛する会」の設立に携わる[6]。この会は、後に「NPO鹿児島渚を愛する会」となり、理事長に就任する[6]

2002年8月、奄美群島龍郷町の渚診療所の設立にたずさわる[7]。一月一週間だけ滞在して、診察活動を行う活動を続けてきた[7]

2012年3月28日 11時20分、逝去[1]。享年93。

脚注

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  1. ^ a b 鹿児島・渚を愛する会. “訃報 福田正臣 氏”. 2015年9月11日閲覧。
  2. ^ a b c 鹿児島西ロータリークラブ. “福田正臣会員 ご逝去 ―平成24年3月28日、93歳”. 2015年9月11日閲覧。
  3. ^ 訃報 福田正臣氏”. 2022年1月1日閲覧。
  4. ^ 博士論文書誌データベース
  5. ^ a b c 健康長寿MEUSEUM - 泉重千代
  6. ^ a b 渚を愛する会について
  7. ^ a b 渚診療所 - 福田正臣

外部リンク

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