福田庸雄
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福田 庸雄(ふくだ つねお、1887年9月6日[1] - 1965年〈昭和40年〉7月15日[2][3])は、日本の商工官僚、実業家。
経歴
[編集]熊本県出身[4]。1905年福岡県立中学修猷館[5]、1909年第五高等学校英語文科[6]を卒業。1912年高等文官試験に合格。1913年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[4][7]。
1913年農商務省に入省し、1925年農商務省が商工省と農林省とに分割されると、商工省に移り、1929年保険部長、1930年鉱山局長などを歴任する。1935年1月退官[4]。
1935年12月日本製鐵監査役となり、1939年、日本製鐵取締役、並びに日鉄鉱業専務取締役に就任する[4]。戦後、公職追放を受ける。岩手窯業鉱山社長となった後の1951年に追放解除。1952年に友和産業社長となった[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『産経日本紳士年鑑 第6版 下』産経新聞年鑑局、1966年 。