福田千代作
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福田 千代作(ふくだ ちよさく、1885年(明治18年)1月30日[1] - 没年不明)は、日本の実業家。中華電気製作所、支那興業各取締役[2][3][4]。住友本社、呉服販売店支配人[2][5]。上海居留民団長[4]。族籍は広島県士族[3][4]。
人物
[編集]広島県士族・福田千次郎の四男[2][3][4]。広島市西白島町出身[1]。1904年、県立広島中学校卒業[1]。直に広島県より推選され清国留学生を命ぜられた[1]。1907年、上海東亜同文書院商務科を卒業した[3][4]。上海に在住し、支那貿易事務に従った[1]。1935年、甥・光次郎方より分家した[3][4]。
宗教は神道[2]。趣味は大弓、漢籍[2]。住所は広島市西白島町[1][2][5]、上海市[3]。
家族・親族
[編集]- 福田家
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『広島県紳士名鑑』広島市之部147頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』広島25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第12版 下』フ32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 下』フ28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月27日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第41版』広島ヒ、フの部22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月27日閲覧。
- ^ 『藝藩輯要 人名索引』263頁。2022年7月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 高橋新一編『藝藩輯要 人名索引』高橋新一、1990年。