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福永泰子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

福永 泰子(ふくなが やすこ、1918年大正7年)3月16日[1] - 2006年平成18年)9月11日)は、日本華族皇后女官嵯峨実勝侯爵令嬢。夫は関西大学教授・福永健治。母は9代浜口吉右衛門の長女・尚子(ひさこ)。

香淳皇后に仕えた。長姉が愛新覚羅溥傑妃である

略歴

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関西の大実業家で宮家との縁も深い福永家に嫁ぐが、わずか1年8ヶ月で夫に先立たれる[2]

1968年(昭和43年)5月、泰子の勧めにより、溥傑・浩の次女で姪である嫮生と、亡き夫の姉の次男である健治が結婚した[3]

徳川義寛の勧めで宮中に入り、1971年(昭和46年)から1989年平成元年)にかけて宮内庁侍従職で女官を務め、その後2000年(平成12年)まで香淳皇后に仕えた[4]。83歳で退職[5]

2006年9月、88歳で死去。葬儀は神戸市須磨区で健治が経営する高齢者福祉施設である自宅で行われた。葬儀の喪主は嫮生が務めた[6]

脚注

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.630
  2. ^ 本岡 2011, pp. 292–293.
  3. ^ 福永 2011, pp. 258–266; 本岡 2011, pp. 292, 298.
  4. ^ 毎日新聞2006年9月12日
  5. ^ 本岡 2011, p. 293.
  6. ^ “福永泰子さん死去/故愛新覚羅溥傑氏夫人の妹”. 四国新聞. (2006年9月12日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20060912000399 2020年8月22日閲覧。 

参考文献

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  • 福永嫮生『流転の王妃 愛新覚羅溥傑・浩 愛の書簡』文藝春秋、2011年。ISBN 978-4-16-374250-2 
  • 本岡典子『流転の子―最後の皇女・愛新覚羅嫮生』中央公論新社、2011年。ISBN 9784120042690