福島勝太郎
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福嶋 勝太郎(ふくしま かつたろう、1865年6月5日(慶応元年5月12日[1]) - 1921年(大正10年)10月6日[2])は、明治から大正時代の政治家、銀行家。衆議院議員(4期)。
経歴
[編集]駿河小島藩領有渡郡中島村(大里村、安倍郡大里村、静岡市を経て現静岡市駿河区)出身[1][3]。東京府中学校を経て[2]、東京大学予備門で法律学を修めたのち、1893年(明治26年)5月に渡米し、翌年8月、イェール大学法律学部を卒業した[1]。
静岡新報社[注 1]社員[1]、静岡実業銀行[注 2]取締役を務めたのち、扶桑銀行[注 3]を創立した[2]。ほか、静岡農工銀行監査役、同取締役を歴任した[2]。
1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では静岡県第1区から出馬し当選[2]。以後、通算4回当選した[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員名簿 明治三十一年五月十日印刷』衆議院事務局、1898年 。
- 山口井太郎 編『静岡県静岡安倍庵原馨典人物誌』山口井太郎、1901年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。