福岡市立福岡女子高等学校
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(福岡市立第一女子高等学校から転送)
福岡市立福岡女子高等学校 | |
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北緯33度35分47.9秒 東経130度19分48.7秒 / 北緯33.596639度 東経130.330194度座標: 北緯33度35分47.9秒 東経130度19分48.7秒 / 北緯33.596639度 東経130.330194度 | |
過去の名称 |
福岡市立第一女学校 福岡市第一高等女学校 福岡市立第一女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校(福岡市立) |
設置者 | 福岡市 |
校訓 | 自立 共生 創造 |
設立年月日 | 1925年5月15日 |
共学・別学 | 男女別学(女子校) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 生活情報科 食物調理科 服飾デザイン科 保育福祉科 国際教養科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D140213000128 |
高校コード | 40198G |
所在地 | 〒819-0013 |
福岡県福岡市西区愛宕浜三丁目2番2号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
福岡市立福岡女子高等学校(ふくおかしりつふくおかじょしこうとうがっこう)は、福岡県福岡市西区愛宕浜三丁目にある市立女子高等学校。TVアニメ『ゆゆ式』のモデル校[要出典]。
設置学科
[編集]- 普通科
- 生活情報科(家庭に関する学科)
- 食物調理科(家庭に関する学科)
- 服飾デザイン科(家庭に関する学科)
- 保育福祉科(家庭に関する学科)
- 国際教養科(その他の専門教育を施す学科)
沿革
[編集]年表
[編集]- 1925年(大正14年)5月15日 - 福岡市立第一女学校として設立認可、福岡市小烏馬場(現: 福岡市中央区天神二丁目)に開校。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 専攻科を新設。
- 1941年(昭和16年)10月6日 - 大名町(現: 中央区赤坂二丁目)に移転。
- 1942年(昭和17年)3月24日 - 福岡市第一高等女学校を設立。
- 1944年(昭和19年)4月10日 - 校舎が西部軍司令部に収容されたため、千代町(現: 博多区千代四丁目)の仮校舎に移転。
- 1946年(昭和21年)1月15日 - 大名町の校舎が返還され復帰。
- 1946年(昭和21年)2月15日 - 校舎が火災で焼失したため、奈良屋町(現: 博多区奈良屋町)に一時的に移転。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、福岡市立第一女子高等学校に改称。新校舎を使用開始し、元の位置に復帰。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 食物科を新設。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 被服科と保育科を新設。
- 1951年(昭和26年)1月1日 - 福岡市立福岡女子高等学校に改称。
- 1952年(昭和27年)9月10日 - 別科を設置。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 別科を廃止。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 普通科と家政科を新設。
- 1974年(昭和49年)3月30日 - 西区姪浜に移転。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 被服科・食物科・保育科・家政科を服飾デザイン科・食物調理科・保育福祉科・生活情報科に再編。国際教養科を新設。
- 1995年(平成7年)3月31日 - 西区愛宕浜三丁目(現在地)に移転。
- 2024年6月 - 定員割れなどで2027年度より共学化し学科再編する方針が固まる[1][2]。
教育方針
[編集]校訓
[編集]自立・共生・創造
制服と昼食方法
[編集]校歌
[編集]通学区域
[編集]通学手段など
[編集]- 生徒の主な通学手段
- 最寄り鉄道駅など:
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 日本放送協会. “市立福岡女子高校が27年度に共学化 県内全公立高校が共学に|NHK 福岡のニュース”. NHK NEWS WEB. 2024年11月25日閲覧。
- ^ “福岡女子高校が男子生徒受け入れ、2027年度めどに…福岡県内の公立高校すべてが共学に”. 読売新聞オンライン (2024年6月14日). 2024年11月25日閲覧。