福地曠昭
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福地 曠昭(ふくち ひろあき、1931年2月28日 - 2018年7月5日)は日本の政治運動家。
沖縄教職員会政経部長だった1967年3月29日、暴力団「東亜友愛事業協同組合」沖縄支部の組員2人に那覇市内の路上で刺され、2カ月の重傷を負った。
→「沖縄教職員会政経部長襲撃事件」も参照
本土復帰運動を担い、平和運動を支えるなど、戦後沖縄史と重なる人生だった。
沖縄人権協会理事長や沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会代表、沖教組委員長、原水協理事長、教育振興会事務局長、県国際交流財団副理事長、県精神保健福祉協会長などを歴任した。
2018年7月5日午前1時3分、沖縄市内の病院で死去した。87歳。
参考文献
[編集]- “福地曠昭さんが死去 87歳 1フィートの会、県祖国復帰協議会などを組織 沖教組委員長、教育振興会事務局長など歴任”. 琉球新報. (2018年7月5日) 2018年7月8日閲覧。
- “<金口木舌>文字通り、沖縄戦後史を駆け抜け・・・”. 琉球新報. (2018年7月6日) 2018年7月8日閲覧。
- “福地曠昭さんが死去 沖縄の日本復帰けん引 87歳”. 沖縄タイムス. (2018年7月5日) 2018年7月8日閲覧。
著書
[編集]- 『基地と人権―沖縄の選択』〈同時代社〉1999年4月。ISBN 4886834159。
- 『沖縄史を駆け抜けた男』<同時代社>、2000年10月。ISBN 4886834353