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福原留次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

福原 留次(ふくはら とめじ、1911年明治44年)8月31日 - 1966年昭和41年)[1])は、日本実業家福留ハム会長[2]。旧名・健太郎[2]

人物

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広島県広島市出身[2]1926年より家業に従事[2]1952年、福留商店を継承、2代目留次を襲名[2]1958年3月、福留ハムを設立会長に就任[2]。広島市福島南三篠地区福祉協議会長、福島病院顧問[2]

『商工人名録 昭和8年』には「営業種目・牛肉、区別・」とある[3]。宗教は浄土真宗[2]。住所は広島市福島町[2]

家族・親族

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福原家 

1919年3月に初代福原留次が精肉卸問屋を創業した[4]1948年、福留ハム製造所開設[4]。福留ハム初代取締役社長の中島治(1919年 - 1992年)は広島県呉市出身で[2]、1948年に福留ハム製造所代表者となる[2]。1958年3月、福留ハム株式会社の社長に就任[2]。福原康彦は長男(後に福原留次の養子となる)[1][5]、中島修治は二男である[2]

脚注

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  1. ^ a b 「福原康彦氏・福留ハム(新社長)」『朝日新聞』1991年5月28日、11面。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』な583、ふ736頁。
  3. ^ 『商工人名録 昭和8年』16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月28日閲覧。
  4. ^ a b あゆみ”. 福留ハムホームページ. 2020年10月4日閲覧。
  5. ^ 「中島治氏死去」『朝日新聞』1992年3月25日、31面。

参考文献

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  • 広島商工会議所編『商工人名録 昭和8年』広島商工会議所、1933年。
  • 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。