福原城
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福原城 (栃木県) | |
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別名 | 北岡城、福原北岡館[1] |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 福原之隆[1] |
築城年 | 鎌倉時代[1] |
主な改修者 | 那須資景[1] |
主な城主 | 那須氏[1] |
廃城年 | 1681年(天和元年) |
遺構 | 土塁[1] |
位置 | 北緯36度48分11秒 東経140度3分53秒 / 北緯36.80306度 東経140.06472度座標: 北緯36度48分11秒 東経140度3分53秒 / 北緯36.80306度 東経140.06472度 |
地図 |
福原城(ふくはらじょう)は、栃木県大田原市福原にあった日本の城。別名を北岡城、福原北岡館[1]。
南側の低丘陵には福原要害城があり、こちらを福原城とする資料もある[1]。
概要
[編集]鎌倉時代初期に、福原之隆によって築かれて以来、約300年に渡り那須氏の居城として使われ、上下那須家分裂後は、上那須家の居城として使われた[1]。
1514年(永正11年)の上那須家滅亡後は、佐久山城と共に、実質福原氏の居城的な役割を担っていたと思われる[要出典]。
1610年(慶長15年)には、那須資景が那須藩を立て、城の一角に福原陣屋を築く[要出典]。
1681年(天和元年)に、三代藩主那須資弥の時、烏山に転封となり廃城[1]。
現在、城跡は大半が農地となっており、目立った遺構はない。