福むら貴美子
福むら 貴美子(ふくむら きみこ、1897年9月21日- 1962年5月3日)は、日本の女性歌手・作曲家。
来歴
[編集]1897年(明治30年)9月21日、東京府東京市で生まれる。[2]本名、岸上 きみ。[3]旧姓は、藤本。母親は音曲寄席師の立花家朝治であり、幼少期から寄席の高座に度々出演していた。[4]1910年(明治43年)頃、立花家歌子を名乗り、三遊派に加わる。[5]娘音曲手踊りとして岸沢式多津と並び称され、人気を二分した。[6]
京都で学校の課程を修める。清元、哥沢、小唄、新小唄などを次々と究め、その美声をもって知られた。大正中期からは哥沢に転向し、寄席の出演よりは専ら哥沢寅の名で活動することが多くなる。
1932年(昭和7年)1月、ビクター実演大会にて、女馬子・淀川を披露。同年、日本コロムビアから歌手デビューし、その年の内に日本ビクターに移籍。1934年(昭和9年)まで流行歌手・民謡歌手として活動した。
その後は岸上 美葵などの変名を名乗って戦前の歌謡界で活躍し、1940年(昭和15年)に福村 貴美子の名で作曲家に転身。戦後は芸名を本名の岸上 きみで統一し、大倉喜七郎の片腕として大和楽の創流に参加。立唄・指導者として普及に尽力、『狐』『傘の内』などを作曲した。[3]
代表曲
[編集]歌唱[7]
昭和7年 『弥太郎笠の唄』
『四條オンパレード』
昭和8年 『女馬子』『祖国日向』
『湊川小唄』『関の五本松』
昭和9年 『樺太民謡』
作曲[8]
昭和13年頃 『狐』『隅田川』『夕顔棚』
昭和15年頃 『傘の内』
昭和22年 『河』『お祭り』『鐘』
出典
[編集]- ^ 20世紀日本人名事典. “岸上 きみ(キシガミ キミ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
- ^ 20世紀日本人名事典. “岸上 きみ(キシガミ キミ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
- ^ a b c https://kotobank.jp/word/%E5%B2%B8%E4%B8%8A%20%E3%81%8D%E3%81%BF-1643253
- ^ 明治~平成, 新撰 芸能人物事典. “立花家 歌子(タチバナヤ ウタコ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
- ^ 明治~平成, 新撰 芸能人物事典. “立花家 歌子(タチバナヤ ウタコ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
- ^ 明治~平成, 新撰 芸能人物事典. “立花家 歌子(タチバナヤ ウタコ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
- ^ “%E7%A6 %8F%E3%82%80%E3%82%89%E3%80%80%E8 %B2%B4%£7%BE%8E%E5%AD%90 - 国立国会図書館サーチ”. iss.ndl.go.jp. 2023年10月23日閲覧。
- ^ “ディスコグラフィー | 大和楽公式サイト Yamatogaku Official Website”. yamatogaku.jp. 2023年10月23日閲覧。
外部リンク
[編集]https://kotobank.jp/word/%E5%B2%B8%E4%B8%8A%20%E3%81%8D%E3%81%BF-1643253