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神津港人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神津 港人(こうづ こうじん、1889年明治22年)12月21日[1] - 1978年昭和53年)4月7日[1])は、日本洋画家[2]

人物

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長野県北佐久郡志賀村(現佐久市志賀)出身。神津豊助の次男[3]1912年東京美術学校卒業[3]1915年、第9回文展で「電車」が初入選、官展に出品を続ける[1]

1920年、農商務省の海外実業生として渡欧、ロンドンのロイヤル・アカデミー・スクール、パリのアカデミー・ジュリアンで商業美術を学ぶ[1]

1928年、構造社に参加、絵画部主任となる[1]1932年オリンピックの日本選手団オリンピック芸術競技派遣役員として渡米する[1]1939年、緑巷会を組織、1950年、創芸協会と改称、代表者となる[1]

宗教は真言宗[2]。住所は東京都杉並区東荻町[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 神津 港人とはコトバンク。2020年11月21日閲覧。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第15版 上』カ42 - 43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月21日閲覧。
  3. ^ a b 佐久の先人たち45 佐久の洋画のパイオニア 神津港人、広報佐久 別冊 平成28年2月。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。