神村信五郎
表示
神村 信五郎[1][2](かみむら しんごろう[3]、旧姓・辻、1858年1月16日〈安政4年12月2日〉[4] - 没年不明)は、日本の商人(神村屋、太物及び綿ネル商[3]、染物、足袋商[5])、実業家、名望家[6]、政治家(姫路市会議員、同議長[2][7])、姫路市参事会員[7]。姫路商業会議所会頭[8]。族籍は兵庫県平民[4][9]。
人物
[編集]兵庫県人・辻榮次郎の五男[10][11]。1879年、先代きくの入夫となり家督を相続した[11]。銀行会社の重役として知られた[4]。姫路商業銀行常務[9]、同専務取締役[2][4][10]、姫路銀行、山陽綿各取締役[9][11]、姫路製綿社長などをつとめた[4][9]。住所は兵庫県姫路市福中町[9]。
家族・親族
[編集]- 神村家
- 妻・淑子(1874年 - ?、鹿児島平民、松田吉右衛門の妹)[9]
- 長男・永太郎(1881年 - ?)[4][9]
- 二男・定二郎(1884年 - ?)[4][9]
- 長女・つい(1879年 - ?、兵庫平民、神村卯平の妻)[4]
- 二女・のぶ(1886年 - ?、其の夫敬と共に分家する)[9]
- 三女・ふみ(1891年 - ?、鳥取士族、勝部亮の妻)[9]
- 孫
- ひ孫
- 昭信(1929年 - ?)[11]
- 親戚
- 神村卯平(姫路商業銀行取締役)[4]
脚注
[編集]- ^ 『大日本紳士鑑』兵庫県姫路市325頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月27日閲覧。
- ^ a b c 『兵庫県官民肖像録』109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月11日閲覧。
- ^ a b 『日本現今人名辞典選』か90頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第5版』か148 - 149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月13日閲覧。
- ^ 『関西実業名鑑 明治40年』姫路市(播磨国)48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。
- ^ 『帝国名望家大全』136頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月16日閲覧。
- ^ a b 『姫路市史 市制施行三十年記念』171頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。
- ^ 『姫路商工案内』24 - 25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第6版』か128頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』カ133頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月13日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第9版』カ121頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
- 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 橋本治策編『関西実業名鑑 明治40年』関西実業名鑑編纂所、1908年。
- 『兵庫県官民肖像録』博道社、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 播磨史談会編『姫路市史 市制施行三十年記念』姫路市、1919年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 『姫路商工案内』姫路商業会議所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。