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神尾元珍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神尾 元珍 (かんお もとはる/もとたか、元和2年(1616年) - 貞享4年11月20日1687年12月24日))は、江戸時代前期の旗本茶人神尾元勝の子。母は土屋昌恒の娘(阿茶の局の養女)。主水、従五位下、若狭守。正室は織田尚長の娘。弟に神尾元清、梶川忠勝梶川忠久養子)、妹に小堀政十室、柴田勝興室、大岡忠章室、能勢頼宗室、相馬義胤養妹。子に神尾元知奥山良和室。

承応元年、従五位下、若狭守に叙任する。寛文3年使番となり、同4年日光の目付代となる。延宝5年、法皇及び女院御所造営の奉行を務め、同年作事奉行に転任する。貞享2年職を辞して寄合となり、翌年致仕し、紹元と号する。

織部流佐久間将監に師事し茶の湯を学んだ(小堀遠州にも師事した)。