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神吉俊和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神吉 俊和
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県明石市
生年月日 (1926-03-24) 1926年3月24日
没年月日 (2002-03-26) 2002年3月26日(76歳没)
身長
体重
170 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1951年
初出場 1951年
最終出場 1952年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

神吉 俊和(かんき としかず、1926年3月24日 - 2002年3月26日[1][2])は、兵庫県明石市[3]出身のプロ野球選手

経歴

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明石中学校から関西大学に入学。1950年には春のリーグで最高殊勲選手を受賞する[4]

1951年大洋ホエールズへ入団[3]1953年に引退。

その後、大都魚類の取締役を務めていた[2]

2002年に肺炎のため死去[2]

人物

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1男1女の父であり、それぞれ医者になっている[5]

ロビンスの選手時代に監督であった小西得郎が長男の名付け親である[5]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1951 大洋 27 47 43 3 10 2 0 0 12 2 2 0 1 -- 3 -- 0 9 0 .233 .283 .279 .562
1952 11 16 15 1 1 0 0 1 4 2 0 0 0 -- 1 -- 0 3 0 .067 .125 .267 .392
通算:2年 38 63 58 4 11 2 0 1 16 4 2 0 1 -- 4 -- 0 12 0 .190 .242 .276 .518

背番号

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  • 20 (1951年 - 1952年)
  • 37 (1953年)

脚注

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  1. ^ OB NEWS Vol.62” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2014年7月). 2021年2月27日閲覧。
  2. ^ a b c 神吉俊和氏死去/元大都魚類取締役”. 四国新聞社 (2002年3月28日). 2021年11月3日閲覧。
  3. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、177ページ
  4. ^ 昭和中期 - 関西大学のスポーツ史”. 関西大学 年史編纂室. 2021年11月3日閲覧。
  5. ^ a b つづき”ひと”訪問 39回”. つづき交流ステーション (2015年5月). 2021年11月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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