神保源十郎
表示
じんぼ げんじゅうろう 神保 源十郎 | |
---|---|
生誕 |
文政12年11月23日 (1829年12月18日) 上野国(現在の群馬県群馬郡) |
記念碑 |
神保源十郎寿蔵碑 (群馬県前橋市池端町八幡川付近) |
国籍 | 日本 |
別名 |
神保源十郎柳風斎源正義 神保源重郎源且久 |
職業 | 柔術家 |
流派 | 天神真楊流 |
親 | 神保彌五郎正信 |
親戚 | 神保彌左衛門正辰(四世の祖) |
神保 源十郎(じんぼ げんじゅうろう、1829年 - ?)は、日本の柔術家。号は柳風斎、名は正義。
経歴
[編集]1829年12月18日(文政12年11月23日)に上野国の池端村に生まれる。
1843年(天保14年)十五歳で青梨子村(現在の青梨子町)の桜井邦造源儀信から天神真楊流を数年学ぶ。また、桜井邦造の師である天神真楊流の祖磯又右衛門に入門し五年間修業した。
1849年(嘉永2年)道場を設け天神真楊流を教授した。
1861年(文久元年)に武州鷺宮の柔術家橋本道龍斎と試合して勝ち名声を得た。
門人は二千人を数え、免許は六人、目録は三十人いた。
高弟の一人である田子信重は、柔術の技を以て海江田信義に知られ警視庁柔術師範(警視庁武術世話掛)となった。
史跡
[編集]門人
[編集]- 磯又右衛門柳関斎源正足
- 桜井邦造源儀信
- 神保源十郎柳風斎正義(神保源重郎源且久)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 群馬県教育会 編『群馬県史 第三巻』群馬県教育会、1927年
- 日本柔道整復師 編『日整六十年史』日本柔道整復師会、1978年
- 濱口富士雄 著『群馬の漢文碑 續』東豊書店, 2012年8月