神保小太郎
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神保 小太郎(じんぼ こたろう、1853年2月7日(嘉永5年12月29日[1])- 1908年(明治41年)1月14日[2][3])は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、石川県石川郡弓取村長[2][3]。
経歴
[編集]加賀国石川郡諸江村(石川県[2]石川郡弓取村字諸江[1]を経て現金沢市諸江町)で、大地主・神保九右衛門の二男として生まれた[1]。漢学を修めた[2][3]。1875年(明治8年)家督を相続した[1]。金融業を営む[2]。
1873年(明治6年)諸江村組長に就任[1]。以後、第七区小三区戸長、第十一大区小一区副戸長、上安江・下安江・諸江・割出・三ツ屋・三口村戸長、諸江・割出・三口・三ツ屋村戸長、諸江村外12カ村戸長、石川郡教育員、石川県検疫委員などを務めた[1]。また、石川郡会議員(1891年7月-1892年12月)[1]、石川県会議員(1891年10月-1892年2月)にも在任した[1]。
1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(石川県第1区、中央交渉会)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。1896年(明治29年)6月、石川郡会議員に再選され、1897年(明治30年)9月まで在任した[1]。
社会事業、教育事業、産業振興に私財を投じて尽力した[1]。1908年1月、東京・回生病院で心臓病のため死去した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 石川県議会史編さん委員会編『石川県議会史 第1巻』石川県議会事務局、1969年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。